ハイジの心で感じるままに

自然とともに、私を生きる。

感性によって仕事をする人たちの、心の葛藤とは

 

世の中には自分の感性を表現し、

何らかの形に表すことによって

仕事をしている人たちがいる。

 

 

小説家

画家

楽家

写真家

ダンサー

クリエイター

 

など、

 

 

今日は、そんな人たちの

仕事における心の葛藤みたいなものを

考えてみたいと思う。

 

 

小説家や画家になる人はおそらく、

 

自分の表現する本や絵や音楽が

世の中のたくさんの人に知られること、

 

が大きな夢だろう。

 

もっと言うと、

それによって

誰かに良い影響を与えたい、

と思っている人もいるだろう。

 

 

そのために、

まだ駆け出しの頃は

自分の感性の赴くままに

 

文章を書き、

絵を描き、

音楽を奏でる。

 

それが

いつか多くの人に認められることを

信じて。

 

 

そして、

人によっては

何十年もかけてようやく

称賛に値する作品を生み出せるようになり、

 

一つの作品が、突然

世の中の人に知られるようになる。

 

最初はとても嬉しいだろう。

 

長年の苦労のすえ、

自分が生み出した作品が認められ、

多くの人に称賛される。

 

 

自分の純粋な感性で生み出した作品だとしたら、

これ以上の魂の喜びはないだろう。

 

 

しかし、大変なのはそこからだ。

 

 

一度、人に認められる喜びを知ると

今度は

「純粋な感性」から作品を生み出すより、

「認められたい感性」から作品を生み出そうと

するようになる可能性があるからだ。

 

 

あくまでも可能性であって、

皆がそうではない。

 

しかし、

人間が元々一人では生きていけない

生き物なのだとしたら、

 

どこかの集団に所属し、

自分の「存在価値」を認められ

誰かの役に立っている、

 

ということが、

一人の人である「表現者」にとって

心の拠りどころとなってしまう

可能性がある。

 

 

それによって、

自分の「純粋な感性」で表現することが、

いつの間にか「認められたい感性」で表現することに、

すり替わってしまうかもしれないのだ。

 

まだ、それに気づける人は幸せだ。

 

同じく、どんな状況でも

自分の作品に対する人の評価を気にせず

自分自身のために表現し続けることができる人も、

幸せだろう。

 

しかし、多くの人は

その壁を乗り越えるのに

とても苦労することになるはずだ。

 

 

「認められたい感性」によって生み出された作品は

いくら世の中に称賛されたとしても、

自分の心が満たされることはない。

 

 

ここまで読んでいただいた方は

お気づきかもしれないが、

 

 

「純粋な感性」とは、自分自身の本当の心。

 

「認められたい感性」とは、他人の評価を軸とした

「感性」の皮を被った「思考」そのものなのだ。

 

 

そのことに気づけない場合、

自分の「感性」に従い作品を生み出し、

評価されているはずなのに、

なぜか心が満たされない…

 

という葛藤と闘うことになるだろう。

 

 

本当に自分の

「純粋な感性」の声を聞き続けることと、

それを仕事にして評価を得ることの両立は、

とても難しいのだ。

 

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ここまで、

小説家でも画家でもない私が

なぜこんなことを書くのか

不思議に思った方もいるかもしれない。

 

そんなこと本人にしかわからないだろう?

 

と思う人もいるだろう。

 

 

 

いや、それが少しは分かるような気がするのだ。

 

こうやってブログで表現することも

私の「純粋な感性」に従って書いているつもりだし、

とても心が満たされて幸せな時間だ。

 

しかし、

読者の方が増え、

応援してくださる方が増え、

多くの人の目に触れる機会が増えると、

 

それが嬉しいと感じると同時に、

ブログを始めた当初よりも

 

「認められたい感性」側に寄っているような

不思議な感覚に陥るからである。

 

 

表現することを仕事として

収入を得ていない私でも

こんな自意識過剰にも似たようなようなことを

感じるのだ。

 

人間の「認められたい」「人の役に立ちたい」

という欲求は、

もはや魂の根源的な欲求なのかもしれない。

 

そうは言っても、

私は私の言葉で自分を表現する喜びを

知ってしまったので、

全然やめられそうにもないのだけれど。笑

 

 

だから、なおさら

表現することを仕事として

日々活動されている方の

心の葛藤は計り知れない。

 

自分自身の心が納得することか。

認められることか。

 

つまり、

いくつもこの世に有名な作品を生み出した

有名な表現者は、

 

この葛藤を乗り越え、

あるいは葛藤を抱えながら

作品作りをしているのだ。

 

 

そう思うと、

作品そのものよりも、

 

その作品を生み出す過程自体が

称賛に値するのかもしれない。

 

 

そんなことを、

しみじみと感じた。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました(*´∀`*)