ハイジの心で感じるままに

自然とともに、私を生きる。

「絶対」という言葉に隠された、本当に大切なこと

みなさんは普段「絶対」という言葉を

使いますか?

 

私はよく使います。笑

 

今日はそんな「絶対」という言葉に

隠れている大切なことに気づいたお話です。

 

 

みなさんはどういう場面で「絶対」という言葉を使うでしょうか?

 

私であれば、

 

「絶対そうだよね〜」

(自分の信じていることを伝えるとき)

 

「絶対ここに行きたい」

(自分の願望を必ず叶えたいとき)

 

「絶対こうなるよね…」

(頭で予測したことが変えられない真実のように思うとき)

 

こんな感じで「絶対」を使うことが多いのですが、

この「絶対」ってどういう感情から発生しているか考えたことはありますか?

 

この「絶対」は

【何かを強く信じる気持ち】や

【何かを理想とする気持ち】から

生まれる言葉です。

 

何かを信じたり、理想を抱いたりする、

ということは一見、すごく素晴らしいことのように思いますが、

 

それが「いき過ぎる」と

『執着』や『強すぎるこだわり』に

なると思うのです。

 

もっと言うと、

「絶対こうであってほしい」

という強い想いは、

「絶対こうであってはいけない」

という何かを許せない気持ちの裏返しです。

 

 

私は昔から自分の理想や信念みたいなものを

強く持っているほうで、

周りの人から

「ハイジさんってブレないよね」

と言われることがたくさんありました。

 

最近でも、

見かけがそんな風に見えないみたいで、

「すごいふわふわしてるのに芯が強いよね!」

って言われることがあります。笑

 

それって私にとっては褒め言葉でとてもありがたいのですが、

どれだけ人に自然と合わせていたとしても

自分にとって大切にしたい想いや考えは

絶対に譲れない!笑

 

芯が強いのか頑固なのか…

 

それはいいのですが!笑

 

最近信頼できる人に言われた一言が

グサリと胸に刺さりました。

 

それは…

「あなたは『絶対』が強すぎるよ。

そこは自分で意識したほうがいい。」

という言葉でした。

 

そのときは、

自分でも自覚していたので、

「そうなんです!笑 強すぎるんですよね〜」

 

と返したのですが、

そこから一人でじっくり考えてみました。

 

すると、

先ほど言ったように、

 

理想や信念、こうでありたい、

という強すぎる想いは

『執着』に変わり、

何かを「許せない気持ち」に変わるんだなぁ

と自分の中で腑に落ちる思いがありました。

 

私が言いたいのは、

理想や信念を持つことがダメだと言っているのではなく、

私を含め、「絶対」という思いが強い傾向がある人は

「いき過ぎる」ということが

あるということです。

 

そして、そのいき過ぎた想いによって

逆に自分を縛ってしまうことになり、

自分や他者を許せなくなってしまうのです。

 

自分が「絶対こうだ!」

と思っているのと真逆の気持ちを持つ人が現れたら、

その人の意見を受け入れる隙間がない感じです。

 

「絶対」という言葉には、

信じる気持ちの裏側に

『何かを許せない』という気持ちがあることを

意識しておかないといけないなぁ

と感じました。

 

「絶対」と思う気持ちは悪者ではありません。

自分がこうなりたい!と思うことに

進んでいくための原動力にもなり得るからです。

 

ただ、意識しておかないと、知らず知らずのうちに

「絶対」という想いで

自分をがんじがらめにしてしまっていることが

あるということです。

 

このことに気づいたとき、

普段使っている言葉に

どれだけ自分が縛られていたんだろう…

と愕然としました。

 

そして、同じように他者に対しても

縛ってしまう気持ちがあったのだろうと

とても反省しました…

 

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世の中に「絶対」なんてない。

けれど、何かを信じる気持ちは持ち続けていい。

 

それがいき過ぎなければ、

何かを信じるということは

とても大切な自分の気持ちなのだから。

 

これからは、

「絶対」という価値観に縛られすぎることなく

もっとしなやかに、柔軟にやわらかぁ〜く

生きていけたらいいなぁと感じました☺️

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました(*´꒳`*)✨