ハイジの心で感じるままに

自然とともに、私を生きる。

手を伸ばせない理由

いきなりですが、

私の周りには本当に優しい人がたくさんいてくれます。

 

これはお世辞とか誰かに媚を売っているわけでもなく、

本当に心から感じることです。

 

こんなに優しい人たちに囲まれている私は

すごく幸せで、

一人ひとりに出会えたことに

いつも「ありがとう」の気持ちでいっぱいです。

 

けれど、

これは私の昔から変えることのできない

長年の習慣みたいなのものなのですが…

 

どれだけ優しい人たちに囲まれて

信じていたとしても

本当に私が「苦しい」と思ったときに

 

「苦しい」

 

「助けて」

 

この一言がどうしても言えないのです。

 

いつもどうしてだろう…

と本当に思います。

 

こんなに胸の中心あたりが

ギュウっと締め付けられ、

その痛みで涙がポロポロ出てくるのに、

 

それでも

誰かに

「苦しい」と言えないんです。

 

今まで気づかなかったのですが、

というか今までしていなかったのですが、

 

苦しいときには

なぜか自分の手を見つめてしまいます。

 

自然と両手の手のひらを開いて見つめ、

自分の胸の前で両手を繋いで

心の中で「大丈夫」と自然と唱えていることに

気づきました。

 

たぶん、

私が私を励まして、

安心させたいんだろうなぁと思います。

 

それで本当に「大丈夫」と思えるときも

もちろんあります。

 

 

けれど、同時に

本当はこの手を誰かに伸ばしたいんだろうなぁ

ということに気づきました。

 

本当は誰かに伸ばしたい手を

どうしても伸ばすことができなくて

私の中でなんとか処理しようとします。

 

心の中のもう一人の私が誰かに手を伸ばすことを邪魔しようと、

片方の手が私の伸ばそうとする手を押さえつける…

そんな感じなのかなぁとも思います。

 

 

私が胸の前で両手を繋ぐとき、

「大丈夫、私ならできる。」

という想いと

「これぐらいのことで誰かに手を伸ばしたらダメ。自分で解決できるでしょ。」

という想いが、

 

交錯して

全力で手を引っ込めさせようとする力が働くんだろう

と思います。

 

簡単に手を伸ばせたら

どんなに楽だろう。

 

簡単に「助けて」「苦しい」と口に出せたら

どんなに楽だろう。

 

なんで私にはできないんだろう…

 

と思ってしまいます。

 

たぶん私みたいな人は世の中にたくさんいると思うのだけれど…

 

誰かのためなら

私は自分の手を何十本でも差し出せるような気持ちになって、

すごい勢いでエネルギーが湧いてくるのに…

 

なんで自分のために、

私の手をたった一本伸ばすだけなのに

 

それをためらってしまうのかなぁ…

 

本当に優しい人たちに囲まれてるって、

私が手を伸ばせばきっと手を取ってくれるって、

頭ではわかってるのに…

 

ずーっとこんな感じで人生を生きてきたから、

それが当たり前になっちゃったんだろうなぁ。

 

それで孤独感を感じるなんて、

独りよがりもいいところだなぁって

ほんと思う。

 

今は、

手を伸ばせない私も私だから

しょうがないよね…

 

と自分を責める気持ちはだいぶ少なくなったので、

それだけでも楽になったのですが…

 

こんなに人に頼ること、甘えることが

簡単にできない人生を選んで生まれてきた私は

どんだけドMなんやろう…笑

 

優しい人たちに囲まれてるんだから、

 

自分を信じて、人を信じて

苦しいときには

「助けて」と手を伸ばす。

 

たったこれだけのこと。

ちゃんと答えは出てる。

 

ほかでもない大切な自分のために、

手を伸ばすだけ。

きっと、できる。