ハイジの心で感じるままに

自然とともに、私を生きる。

父親が私に遺してくれた心。夢で呼ばれた場所へ。

私は今から25年前の10歳の時、父親を亡くしています。

海の事故でした。

 

それに関しては、過去に記事をいくつか書いていますし

親しい人は知ってくださっているかと思いますので

今日は詳細は書きません。

 

ではなぜ、久しぶりにブログを書いてみようと思ったのか。

 

それは、つい先日、25年の時を経てやっと…

本当にやっと…父親が亡くなった場所に

初めて訪れることができたからです。

 

その時に感じたことを生涯忘れることがないように

書き留めておきたいと思ったので、今これを書いています。

少し長いですが、私の25年分の想いの集大成です。

宜しければお付き合いください。

 

私の中では、長い長い25年でした。

ずっと父親のことを考え続けているわけでは決してないのですが

いつも私の心の奥底に眠っていて

何かがあるといつも言葉にできない苦しみや寂しさとして

外に出てくることがありました。

 

それでも当時、今ほど心や自分のことを知らない私は

何が起こっているのかも受け止めきれず

その時の感情にただ振り回されるしかありませんでした。

 

そして、本当の気持ちは誰にも分かってもらえないと心を閉ざしていた私は、

ほとんど一人で泣いてばかりでした。

 

解決方法も分からず、何がこんなに苦しくて

怖くて、私の心をぐちゃぐちゃにするのか、

人生でずっと分からないままでした。

 

それが、

去年の3月にブログを始めたことをきっかけに

少しずつ自分の「本当の気持ち」に向き合うことができるようになり

このブログやTwitterで出会った方たちのお陰で

「私は一人じゃない」と思えるようになりました。

 

散々行ったり来たりを繰り返しましたが。

 

ひどい時には毎日のように涙を流し

胸がぎゅうっと締め付けられて息ができないほどの痛みを感じながら

父親のことや、自分のことをブログに綴ったものです。

 

けれど、たくさんの人の支えや、励ましの言葉のお陰で

去年の12月、なのでブログを始めて約9ヶ月後

「あぁ…父親の死という私の過去の傷が癒やされたんだなぁ」と

感じる夢を見ました。

 

それがこちらの記事に書いた夢です↓

 

nanohana333.hatenablog.jp

 

記事の中にもありますが

この夢に出てきた場所は、夢を見た時点では全く知らない場所でした。

 

けれど、直感的に「ここは父親が亡くなった海の場所だ」と感じました。

 

それから数ヶ月して、ふと母親に父親が亡くなった場所の地名を聞く機会が訪れました。

 

今まで怖くて聞こうとも思ったこともなかったので

それだけですごく大きな変化だったのです。

 

母親はすぐに教えてくれ、ネットで地名を検索してみました。

 

すると、信じられないことが起こりました…

夢で見たのとまっっっっったく同じアングル、カラー、風景…

 

そんな写真を見つけたのです。

 

夢で見た知らない場所は、本当に実在する場所だったのです…

そして、実際にこの写真に写る岩場で父親が釣りをしていて亡くなった…

 

それは、夢と現実が繋がった瞬間でした。

この写真を見つけた時は鳥肌が止まりませんでした。

 

これが私が夢で見たアングルで、実際に撮った写真です↓

f:id:nanohana333:20211020132738j:plain

 

夢に見た場所が実在する場所だと分かった時からずっと

呼ばれている気がして、ここに行きたくてしょうがなかったのです。

 

コロナ禍で思うようにタイミングを見つけられず

当初予定していた時期よりも、半年近くも経過しての訪問でした。

 

ただ、このタイミングだった意味があると、今はそう思っています。

 

 

地元には5年ほど帰っていなかったのもあり

自分が父親が亡くなった場所に行くなんて夢にも思っていなかったのもあり

帰省すると決めてから、色んな想いが頭を駆け巡り

時と場所関係なく、日常で涙が溢れてしょうがなかったです。

 

本当に一人で向き合えるだろうか…

一人で行くと決めたのは自分なのに、怖くて不安で

自分の感情に引っ張られて最悪の行動をとってしまわないか…

 

私の頭は、色んな幻想を私に想像させました。

 

それは帰省当日も変わらず、一人電車に揺られ

本当に何年分かの想像をし尽くした気持ちです。

 

どんな感情が湧いてくるのだろう…

今まで感じたことのないような感情なんだろうか…

 

けれど、

言葉にはできないような混沌とした気持ちであの風景の場所に立ったとき、

想像していたのと全く違う状態になりました。

 

「無」になったのです。

 

本当に何も感じなかった。

自分でも驚くほど…

 

言葉にもならず、ただひたすら風に吹かれて

海を眺めていました。

 

ここに来れて良かったとも、父親に想いを馳せ悲しいとも何も思わない…

 

最初は「何これ?」と信じられない気持ちで、

自分の心と向き合っていました。

 

もちろん最初から、父親が亡くなった場所に行ったからといって

何かが変わるわけではないのは分かっていました。

 

それでも、自分の中で区切りをつけるために行ってみたかった。

そこの空気に触れてみたかった。

五感で感じてみたかった。

 

けれど、そこに行って感じたことは

「無」だったのです。

 

私は自分の人生最大の苦しみに蓋をして

何も感じないようにしているのだとその時は解釈しました。

 

けれど、しばらくして冷静に振り返ることができるようになった今

こうやってブログを書いていて感じます。

 

私はあの時

「ただ、自分が生きてここに存在している」ということを

そのまま感じていただけだったのだと。

 

そこには、恐怖も苦しみも、何の感情も湧いてこない

人間の感情の奥にある、揺るぎない「自分」という存在をただ感じていただけ。

 

色んなものをありのまま受け入れることができるようになった今だからこそ

どんな自分も「自分」としてただ在ることを、感じる。

 

それが、あの場所に行って

私が初めて受け取ったものでした。

 

父親の死を通して人生の中で

本当に様々な苦しみや葛藤、自分の醜い部分や

人として弱い部分を感情というツールを使って感じてきました。

 

そうじゃないと、感情の奥にある「自分」は「無」の存在なので

自分がわからないから。

 

「無」なんだけど、肉体は「有る」

 

人間って、本当に不思議な存在だなぁって

私の知ってる言葉では表現できないほど

心からそう感じます。

 

もし父親の死がなければ

こんなに苦しい思いをすることもなかった。

 

けれど、この経験がなければ

本当の自分は「無」の存在であって、

善悪もなく、ただそこに在る、ということに

本当の意味で気づけなかったし、体感できなかったかもしれません。

 

感情は「自分」を彩るスパイスのようなもので、

自分が見たい世界を見るため、感じるためのただのツール。

 

こうやってたった一つの気づきを得るために

人は体験し、苦しみ、悩んでいるのかもしれないなぁと今は感じています。

 

 

話が大きくなってきたのでそろそろ終わりにしますが

私が今まで苦しみだと思い込んでいたことは

苦しみではなく、ただの外側の体験だった。

 

「苦しい」という感情をくっつけたのは自分。

それに加えて、

「小さい頃に父親が亡くなった可哀想な自分」という解釈をくっつけたのは自分。

(もちろん、接してきた周囲の影響も大きいとは思いますが…)

 

全部「無」の自分に

好きにくっつけているだけだと心から体感したので

私は、今日をもってこれまでの自分を卒業します!

 

「可哀想な自分」と思い込む人生の扉を

誰でもない、自分自身の手で閉めようと思います。

 

だって、初めから「無」なのであれば

今この瞬間にどんな自分であってもいいのだから。

 

これからは、そうだなぁ…

「この瞬間に存在していて、心地良い感覚を感じたいだけの自分」

にでもしようかな。

 

 

そのために、何かに囚われることなく

自分や誰かを決めつけることもなく

ただ、その瞬間瞬間を自分の体と感覚で素直に感じてあげられる自分で

いたいなぁと思います。

 

「父親が私に遺してくれた心」

それは「こう」と決められているものではなく

その瞬間の自分が、毎瞬選択していくもの。

 

それを、大切に抱きしめ、生きていきたい。

 

私はもう決して一人じゃない。

 

私は、大好きな私と共に生きていく。

そして、私に寄り添い、大切に想ってくれる人と共に。

 

今まで経験してきたあらゆるすべてに、

私と出会ってくださった人すべてに、

ありがとうを、心から。

 

偶然にも私の年齢が、父親の亡くなった年齢と同じ

34歳と10ヶ月まであと数日の、今日の善き日に…