ハイジの心で感じるままに

読書、空、綺麗な景色、宇宙、哲学、音楽、人の心理、目にみえないこと、全部大好き…知的好奇心多めです☆笑

人が持つ「言葉のチカラ」について。憎しみの連鎖を止めるためにどうしたらいいだろう

 

私は、人が持つ言葉のチカラを信じている。

 

なぜなら、

私自身、たくさんの言葉の持つチカラに

救われてきたからだ。

 

 

心を傷つけられるのが言葉であれば、

救われるのもまた言葉である。

 

 

言葉の持つチカラについては

いつか記事を書こうと思っていた。

 

まさか、こんなきっかけで

書くことになるとは思っていなかった。

 

 

昨日、とても悲しい報道を目にした。

 

若く未来ある尊い命が、突然絶たれたのだ。

 

詳細はわからないし、

本当の真実は本人しかわからない。

 

亡くなった方への誹謗中傷だけが

取り返しのつかない結末の原因だとも

言い切れない。

 

 

 

しかし、

この件だけに限らず、

 

目に見えない世界で交わされる言葉については

特に、本当に一人ひとりが

意識しなければならない。

 

 

誰かに言葉をかけるときには

「相手がどう感じるか」

これを想像すること。

 

これが大前提だ。

 

私が言いたいのは

「相手を気持ちを理解すること」ではない。

 

「相手を気持ちを理解しようと想像すること」

が大切だと思うのだ。

 

 

そもそも誰かを理解することなんてできない。

 

自分だって自分のことを完全に理解することはできないのに、

三者が誰かを完全に理解できるはずはないからだ。

 

 

だからこそ、

 

「相手の気持ちを想像すること」が

 

大切なのだ。

 

 

 

「言葉を発する前に立ち止まろう」

というが、

 

言葉を発する前に

「相手の気持ちを想像」すれば、

自然と立ち止まれる。

 

その立ち止まる時間、

文字を打つ指を止める時間で、

 

誰かを救うことができるかもしれないのだ。

 

 

 

そして、

ここからが本当に大切なこと。

 

 

私はネットでこのニュースの記事を読み、

下のコメント欄を見た。

 

そこには、

 

「誹謗中傷した人の神経を疑う」とか

「人として最悪だ」とか

「こういうやつは徹底的に探し出して、刑罰を与えるべきだ。目には目を、歯には歯をだ。」

とか…

 

誹謗中傷した人たちを

誹謗中傷する言葉がたくさん並んでいた。

 

私はコメントした人たちに聞きたい。

 

あなたたちは誹謗中傷した人たちのことを

「想像」しましたか?

 

と。

 

 

誹謗中傷した人だって、

 

たまたまむしゃくしゃすることがあって、

書き込んだのかもしれない。

 

周りの人も言ってるから言ってもいい、と

軽はずみな気持ちで言ったのかもしれない。

 

そして、もっと言うと、

 

もしかしたら子どものときに

親からひどい言葉をかけられ

育てられたのかもしれない。

 

本当は優しい言葉をかけたいのに、

かけ方を知らないのかもしれない。

 

誹謗中傷する最悪な人に見えるかもしれないが、

その人たちさえもまた、被害者かもしれない。

 

そんなことを、少しでも想像しただろうか。

 

 

もし、そのことが想像できたとしたら、

コメント欄にそんなこと

書けないのではないか、と私は思う。

 

 

コメント欄に書く人たちは、

自分の正義に基づき、

悪を批判しているだけ、

と言うかもしれない。

 

しかし、そんなことをしてしまう時点で、

憎しみの連鎖は終わることはない。

 

誰かを誹謗中傷してやろうと思う人は、

誰かから誹謗中傷された人でもあると思う。

 

いくら正義であったとしても、

コメント欄で悪を誹謗中傷することで、

また誹謗中傷される被害者が出る。

 

そして、またその被害者が

誰かを誹謗中傷する。

 

その連鎖を止めることができなくなる。

 

本当に悲しいことだ。

 

 

いくらひどい家庭環境で育てられたからといって、

誰かに誹謗中傷された被害者だからといって、

 

誰かを傷つけていいわけではない。

 

しかし、

どんな悪だと思われる人であっても、

やはりその人を「想像すること」なしには、

どんな言葉も発するべきではない、と私は思う。

 

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綺麗事だと言う人もいると思う。

それは十分わかっている。

 

 

しかし、

自分が正義だと思い込み、

誰かを批判することによって、

憎しみの連鎖が続くこと、

 

これこそが本当に悲しいことだと

私は感じるのだ。

 

 

悪を批判したからといって、

尊い一人の命が返ってくることは絶対ない。

 

そうであるならば、

批判するのではなく、

どうすればいいかを考えることや

想像すること、

 

そういう風に言葉のチカラを使えないだろうか。

 

答えは出ないかもしれない。

誰にとっても完璧な正しい答えなんて

存在しないからだ。

 

 

けれど私は、

言葉のチカラを心から信じる一人として、

 

そうやって使われた言葉は、

いつか回り回って

誰かを救うことができる、と信じている。

 

 

「言葉のチカラ」をどう使えば、

尊い命を救うことができるか…

 

一度立ち止まって、考えませんか?

 

自分と向き合うことと、私の本当の望み

「誰かのために」生きるのではなく、

「自分のために」生きようと思い、

 

ふと、自分のためって何?

って考えたとき

何にも浮かんでこない。

 

おそらく何もないのではない。

 

けれど、

自分が本当に幸せなことや喜びを感じることを

追求しようとしたとき、

 

見たくない、感じたくない

ずっと癒えてない心の傷を

直視しないといけなくなる。

 

 

幼いときに「満たされなかった」気持ちは、

自分の心の奥底の

一番取り出しにくい鍵付きの引き出しに入っていて、

 

普段は絶対出てこないようにしてる。

 

 

普段出てきてしまうと、

日常生活に支障が出るくらい

落ち込んでしまう。

 

そんなときに、

するべきことがあったり、

子どもがギャーギャー騒ぎ出すと、

 

自分でも心が乱れ、感情が爆発し

収集がつかなくなる。

 

 

だから、

絶対出てこないように

鍵まで付けてそのまましまってある。

 

これは、

普段の生活をなるべく穏やかに過ごしたい、

という、ささやかな願いを叶えるための

防衛反応みたいなものかな。

 

感情が乱れて爆発するたびに

自己嫌悪に陥り、

本当に言葉では言い表せないほどつらい。

 

だから、

そんなことが起こるたびに、

どんどん鍵を増やして行って、

 

ちょっとやそっとでは出てこないように、

今では大量の鍵が付いている。

 

 

けれど、

「自分のために」生きる、

ということは、

たぶんその傷も含めて

自分を認めることができないと、

本当の自分の望みや喜びは出てこない。

 

 

だけど、それを認めることが

ほんとうにほんとうにつらい。

 

 

「誰かのために」生きてるほうがずっと楽。

 

自分と向き合わなくていいから。

傷を直視しなくていいから。

大切なものを忘れたフリしてられるから。

 

 

でもね、

それじゃ前に進めない。

 

それも頭でよくわかってる。

 

よくわかってるんだけど、

 

なんでこんなに一人で抱えきれない荷物背負って

生まれてきたんだろうって思う。

 

なんでこんな重すぎる荷物背負うって決めたの?

どんな課題?

ドMですかって思う。笑

 

 

たぶん誰かに「甘える」ことが、

私の一番の課題。

 

昔からこれが一番難しくて、

私にとってそれ以外のことなんて

何でもないのに、

この課題だけ全然クリアできない。

 

いっつもここで止まる。

 

人に甘える方法ってみんないつ学ぶんかな?

 

たいがいのことは学んできたつもりやけど、

これだけはほんまにわからへん。

 

 

 

いつも定期的に見る夢があって、

 

その夢は

 

誰か(男の人)が私を守ってくれてる夢。

 

それはめちゃくちゃ幸せな夢で、

敵から私を守ってくれたり、

肩を抱き寄せてくれたり、

すごく強く手を握りしめてくれたり、

 

誰かに守られてる感覚だけ、

起きても強く焼きついて離れない。

 

夢の中の私は何も考えずに

誰かに甘え、

その誰かが私を守ってくれる。

 

そんな夢を月に一回は必ずみる。

 

相手はそのときによって違うけど。

芸能人とか、友達とか。

芸能人とか全然好きじゃないのに、

夢の中では完全に私のヒーロー。

 

ほんとにほんとに幸せな夢。

 

 

夢だってわかったときに、

絶対起きたくないって夢の中で思う。

そんなことできないけどね。

 

だから、そういう夢を見て起きたとき

現実が苦しすぎて、

本当に一日中辛くなる。

 

 

たぶん、

男の人って、

「お父さん」なんだろうな。

 

 

お父さんに思いっきり甘えて、

守られたかったんだと思う。

 

昔から甘えん坊だった私だけど、

甘えられる環境じゃなかった。

 

農業で忙しく夢を追うお父さん。

 

お父さんも決して強い人ではなかったから、

お母さんに当たったり

自分の喉元に包丁当ててるとことか

小さい頃から見てた。

 

本当に恐くて恐くて

このままお父さんが死んじゃうんじゃないかとか

お母さんのこと殺しちゃうんじゃないかとか

 

ガタガタ震えて

本当に恐かった。

 

小学生の頃だからもういろいろ分かる年齢だった。

でも誰にも言えず、ずっとこのことは

忘れようと一生懸命引き出しにしまった。

 

 

お父さんに優しくしてもらったことも、

甘えたことも絶対あるのにね。

 

お父さんが亡くなる10歳までの記憶が

ほとんど思い出せない。

 

たぶん死ぬほど恐い思いと一緒に、

楽しかった思い出もぜーんぶしまっちゃったんだな。

 

それでそのまま

お父さんは突然、海の事故で亡くなっちゃった。

 

今の私と同じ歳だった。

 

いろんな夢があったのに、

志半ばで亡くなって

どんな思いだったのかな。

 

やりきれないのかな。

それともやりきったのかな。

 

今でもお父さんの気持ちを思うと

胸が締めつけられる。

 

私全然お父さんに甘えられなかったな。

もっと甘えたかった。

 

もう私が生きてるうちには

どれだけ望んでも

絶対叶わない願い。

 

 

それが夢に出てくるんだろうな。

 

本当は誰かに守られ、甘えたい。

 

頑張りたくなんかない。

ちゃんとしたくなんかない。

誰かを守りたくもない。

 

だって、私が一番守ってほしいんだもん。

甘えたいんだもん。

 

ほんと子どもみたいだ、私。

 

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お父さんが亡くなってから、

お母さんと、

10歳年下の弟と

私が残され、

 

こんな環境でどうやって甘えられたんだろう。

 

私はとても窮屈な学校と、

家に帰れば1歳の弟のお世話をしながら、

お母さんのお手伝い。

 

どれだけ心をすり減らして

毎日過ごしてたんかな。

 

でもそうするしかなかった。

お姉ちゃんだしね。

 

ほんと、一番下に生まれたかった。

弟のお世話なんてしたくない。

 

自分の心が壊れないよう守るだけでも

必死なのに、

お世話なんて任せないで!!

お手伝いなんてさせないで!!

 

って私は思ってたんだろうな。

 

でも、

そんなこと言えなかった。

みんな生きていくために

しょうがなかったよね。

 

ほんと、

どんだけ甘えられへん環境に

設定して生まれてきたんやろ。

 

 

こんな体験したいなんて、

私の魂どうかしてるわ。笑

 

あっちの世界に帰ったら

「ほんま楽しかった〜」って

言うんやろうか。

 

それはそれでドMすぎて笑える。

 

 

少しスッキリした。

 

ほんと文章にしたら、

客観的に見れて、

何が辛いんかわかるから

ほんと救われる。

 

でも今言えるのは、

こんな状況で良く生きてこれたなってこと。

 

たぶん、一瞬一瞬誰かに救われてて、

もちろん家族にも救われてて、

自分にも救われてて、

 

そのすべての救いのおかげで、

なんとかここまで生きてこれた。

 

ほんまに周りの人に感謝の気持ちしかないし、

自分自身に、

「命を投げ出すことなく生きてくれてありがとう」

って今なら感謝することができる。

 

 

これだけでも、

少しは鍵付きの引き出しから傷を出して、

癒してあげられてるってことなんかなぁ。

 

うん、そう思うことにしよう。

 

あーほんと長くなったなぁ。

これだけ書いても、人生のほんの一握りのことでしかないから、

人って生きてるうちにいっぱい経験するんやな。

 

それが生きる目的やもんな。

 

「自分のために生きる」のは、

まだまだ時間がかかりそう。

 

でもそれでもいっかぁ。

こうやってここに書くだけでも本当に救われる。

そんな居場所があるなんて

私はほんと幸せだなぁ。

 

読んでくださった方には感謝しかないです。

本当にありがとうございます。

星読み助産師、あおいさん♡

あおいさんって…

 

え、どなた?笑

って思った方と、

 

あ!あおいさんだー✨

って思った方と

両方いらっしゃると思います☺️

 

 

私がいつも興味津々でブログを拝見し、

とてもお世話になっている、

 

星読み助産師の「あおいさん」です♬

aoi-ariesmoon.hatenablog.com

 

 

 

実は、何を隠そう、、、

 

昨日!!

憧れのあおいさんの星読みセッションを

受けさせていただいたのです(*´∀`*)♬

 

あおいさんは、

ご自身が悩まれていた経験から、

西洋占星術を学ばれ、

 

今は同じように悩んでいる方に向けて

星読みセッションを行われているのです。

 

Zoomにて、対面式のセッションでした。

 

生年月日、生まれた時刻、場所をお伝えすると

あおいさんが、私だけのホロスコープを作ってくださり

それを一つずつ丁寧に解説してくださいます。

 

最近買ったipadもちゃんと役に立ってる♬笑

 

 

 

星読みセッションを受けた

率直な感想。

 

「あぁーーーーーやっぱり!!!」

 

です。笑

 

どんな感想やねん、

って感じですね(*´∀`*)

 

 

私の中ではすべて腑に落ちた、

という表現がぴったりですかね。

 

もうね、

当たってる、当たってない

レベルの話じゃないです。

 

「あぁ、私はこの星を選んで、このときを選んで生まれてきたんだ。全部決めてきたんだ。」

 

と、

あおいさんの解説を聞きながら、

確信する感じです。

 

 

いくらオープンな私でも

相談内容は恥ずかしくて言えませんが(笑)

 

西洋占星術のいいところは、

人の性格や、悩みを

すべてホロスコープで視覚化できるところです。

 

自分の興味あること、

自分の頭では理解できない自分自身の行動、

抱えている生き辛さなど、

 

すべて、

目で見て客観的に理解できます。

 

 

そうですね〜

私の感覚としては、

「自分の取扱説明書」を、

 

字ではなく、

図として見ることができる、

という感じですね(*´∀`*)

 

字じゃないから、

難しいこと考えずに

スッと頭に入ってくる感じです♬

 

ほんと楽しすぎたぁ〜(*´∀`*)笑

 

 

小さい頃から、空も好きだし、

夜空の星を眺めるのも好き。

 

田舎だから、細かい星々もたくさん見えてたし♬笑

 

だから、空や宇宙は

私の中で全然遠い存在ではなかった。

 

 

でも、ずっと私の中で西洋占星術は、

あくまでも「占い」の域を超えることはなく、

毎日の星座占いを

お楽しみ感覚でなんとなく見ていただけだった。

 

悪いこと書いてたら一切信じない、

都合のいい使い方やったし。笑

 

 

でも今年に入り、

なぜかYouTubeとか見てても、

不思議と西洋占星術の動画とか勝手に見てたし、

宇宙とか魂とかすごく自然に

興味が湧いてきた。

 

 

そして、3月にブログを始め、

本当に初期の頃に、

あおいさんのブログを見つけ、

そこから星読みの魅力を感じてきました。

 

私たちは元々宇宙にいて、

そこから魂が分離して、

私たちの身体に入ったとしたならば、

 

私たちと宇宙はきっと目に見えない何かで

しっかり繋がっている。

 

その宇宙の影響を受けるのは、

ごく自然で当たり前なこと。

 

そのことに気づかせてくださったのは、

ほかでもない、あおいさんでした(*´∀`*)

 

本当に、今私が必要なことを

あおいさんからたくさん受け取らせていただいてる、

という感覚がピッタリなのです。

 

これさえも何かの計らいなのかな?

宇宙ってやっぱり愛なのかな?

 

と、私の想像は膨らむばかり。笑

 

 

なので、この記事を読んでいただいて

何かピンとくるものがある方は、

もしかしたら何か受け取るタイミングが

来ているのかもしれません♬

 

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私も最初はブログですべてをさらけ出しているのに、

ブログ仲間と会うなんて

無理ー!!!

と思ってたのですが、

 

あの、

結果、全然心配ないです(*´∀`*)✨笑

 

 

なぜならあおいさんは

とても穏やかで、

前から知っていたような、

温かい雰囲気で喋ってくださる方だからです。

 

そして、

とてもナチュラルビューティーなお方です☺️

笑顔がとても可愛いです❤️

(あおいさん、ハードル上がったらすみません🙇‍♀️笑 でも私が感じた本当のことです✨)

 

 

60分のセッションなのに私が喋りすぎて、

30分延長させてもらうぐらい(笑)

 

本当にお顔を見てお話するのは

楽しかったです(*´∀`*)

 

あ、もちろん対面セッションだけではなく、

LINEでチャット形式のセッションもされているそうなので、

どうぞご安心ください☺️

 

少しでも星読みに興味のある方は

お気軽にあおいさんまで♬

 

あおいさんの星読み公式HP👇

https://ariesmoon10mw.wixsite.com/stargazer

 

 

そして、何より

こうやって目に見えない世界でつながっていた

大切な人が、

 

本当にそこに存在していることを

自分の目で見れたことが

何よりも嬉しかった。

 

 

こうやってブログでつながってるみなさんは、

当たり前にどこかに存在しているのだけれど、

 

それって頭のどこかでは

ほんとかな?

って信じられない自分もいるのです。

 

こんなに自分のすべてをさらけ出して、

身近な人でもここまで言ったことない、

ってことまでここでは話してる。

 

それを温かく受け取ってくださり、

心に寄り添ってくださる方がいる。

 

目に見えない心のつながりが、

私の中で、幻想から現実になった!!!

と、とても言葉では言い表せないような

喜びがありました(*´∀`*)

 

 

あおいさんに顔がバレてるから

これから変なこと言えない…

とも思ったりしますが♬笑

 

前からあおいさんのこと大好きでしたが、

実際お会いしてみて、

もっともっと大好きになりました(*´∀`*)

 

あおいさん、

本当にありがとうございました☺️✨

これからもよろしくお願いします(๑>◡<๑)

今までの私なら99%選んでいた選択肢を捨て、1%のほうを選ぼうとしたときに起こった奇跡

 

今日はずっと

果てしない葛藤の中にいました。

  

nanohana333.hatenablog.jp

 

 本当に気持ちが悪くなるぐらい

自問自答し続けました。

 

苦しくて苦しくて

逃げてしまいたくなりました。

 

しかし、

その苦しみの中から、ふと

 

「あれ?今までなら99%選んでた選択肢を、まさか私蹴ろうとしてる?1%のほうを選ぼうとしてる?」

 

ということに気づきました。

 

恐らく、今朝投稿した記事で

私が悩んでいたのは、

 

「集団(誰か)」

「個人(自分自身)」

 

のどちらを選ぶか?

ということだったことにも気づきました。

 

今までは間違いなく

「集団」を選んできました。

 

今回も何もなければ

99%「集団」を選ぶはずの選択肢でした。

 

まさか、

この私が、1%の確率で

「個人」を選ぼうとしてる!?

 

自分でも信じられないような

気持ちに気づいてしまったのです。

 

しかし、その瞬間、

私の心の声ははっきりと

こう言いました。

 

「もしそうだとしたら、私を応援してあげたいな。」

 

 

 

この心の声を聞いた瞬間………

 

 

今まで私の人生で起こったすべての経験(点)が、

スゥーーーっと一本の線で繋がるのが

わかりました。

 

 

「そっかぁ…今まで私は誰かのためだけに生きてきて、自分のためには生きてこなかった。」

 

という事実に気づいたのです。

 

 

その瞬間、

私の目から勝手に涙が溢れていました。

 

 

「今まで私のことを大切にしてあげられなくてごめんね。」

「自分自身を応援してあげられなくて本当にごめんね。」

 

私が、私の心に謝りました。

キュゥっと胸が締め付けられ、

次から次へと涙が溢れて止まりませんでした。

 

 

思えば、

 

物心がついたときから、

自営業で忙しい【両親のために】

 

10歳のとき父親が亡くなってから、

片親で私と弟を育ててくれた【母のために】

 

大学時代は、

私の大切な【友達のために】

 

会社員時代は【会社のために】

 

結婚したら【夫のために】

 

子どもが生まれたら【子どものために】

 

 

私………

 

生まれてから30数年間ずーーーーーっと、

自分のためではなく

【誰かのために】生きてきた…

 

 

それが当たり前だと思ってた。

 

誰かのために生きることが、

私の喜びだと思ってた。

 

 

辛いことが起きるたび、

私の心は

「自分のために生きてほしい」

とSOSを出し続けていたのだと思う。

 

 

しかし、

今の今まで気づいてあげることができなかった…

 

それどころか、

「何でこんなことが起こるのだろう。もっと頑張らないと。もっと強くならないと。」

 

と、自分に対してどんどん厳しくなり、

自分の心の声が聞こえなくなっていった。

 

 

最近、誰かを応援したい、

という記事を書いたときにも、

私はそれが私の喜びだと思っていた。

 

もちろん応援したい気持ちは嘘ではない。

 

 

しかし、

本当は応援してあげたいのは、

「大切な人」であると同時に

「自分自身」だったのだ、と気づいた。

 

 

「大丈夫?」も

「無理しないで」も

「応援してます」も

「素敵ですね」も

「大好き」も

 

 

本当は自分自身に一番かけてあげたかった、

言葉ばかりだった。

 

いつも自分にかけていた言葉は、

 

「人に優しくできないなんて許せない」

「悪口言うなんて許せない」

「頑張らないなんて許せない」

「弱い私なんて許せない」

 

本当に今まで、

自分を許すことを全然してあげられなかった。

 

本当は自分自身が一番応援してあげたい自分を

応援するどころか、許すこともできず

厳しい言葉ばかりかけていたことに気づいた。

 

あぁ、こんなに応援したかった誰かは

ほかでもない「自分自身」だったんだ。

 

なんでこんな大切なことに

気づいてあげられなかったんだろう…

 

 

私は今までどれだけ

私の心を犠牲にして、

私の人生を生きてきたんだろう。

 

私の人生だと思っていたけど、

本当の意味で、

私の人生ではなかったのかもしれない。

 

と今まで生きてきたすべてのことが

走馬灯のように

一瞬にして私の頭を駆け巡りました。

 

 

今日は、

私の人生にとって、

この世に生まれた日の次ぐらいに

かけがえのない大切な日になったような気がします。

 

 

これから、

誰のためでもなく、

私のために人生を生きよう。

 

私というかけがえのない自分を

大切にしてあげよう。

 

私を一番大切にしてあげられるのは、

私以外いないのだから。

 

 

心からそう思いました。

 

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これからの人生で、

もう「誰かのために」自分を犠牲にして、

何かを選択することはないでしょう。

 

あったとしても「自分のために」

誰かを幸せにできるかもしれない選択をするだけ。

 

 

「自分のために生きる」

これからの人生は、

本当の意味で私の魂に寄り添い、

生きていく道かもしれません。

 

 

こんな大切な日に出会えたのは、

いつも私と関わってくださる

ブログで出会えたお一人お一人のお陰です。

 

現実世界ではできない話を

私がここでさらけ出すことができるのは、

 

目には見えないみなさんとの

温かい繋がりがあったからです。

 

本当に感謝してもしきれません。

心からありがとうございます。

 

そして、もし良ければ

これからは私が自分の魂と寄り添い生きていく姿を

見守っていただけると

これほど嬉しいことはありません。

 

ブログを始めて本当に良かった。

こんなに、人生において大切なことに

気づけるなんて思ってなかった。

 

本当に、このブログでのご縁に心から感謝致します。

 

 

そして、みなさんへの感謝とともに、

今までかけてあげられなかった

大切な言葉を、

ほかでもない私自身にかけてあげたいと思います。

 

 

「今まで私のことを見捨てずに、共に生きてくれて本当にありがとう。」

「これからは、あなた(私)に寄り添い、生きていくからね。」

 

重大な決断の前の、果てしない葛藤について

今日は、完全に内向きな記事です。

 

いつも自分の感じたことをベースに

何かみなさんに1ミリでも伝わることがあればいいな、

との思いで書いていますが、

 

今日は、完全に私の頭の整理のために書きます。

 

 

なので、

興味ない人は遠慮なくスルーしてください。

 

もし、このまま読んでもいいよ、

と思ってくださる心優しい方は

私の頭の整理に、

温かい気持ちでお付き合いいただけると嬉しいです。

 

 

私は今、重大な決断を迫られています。

 

重大な決断と言っても

何か命に関わる、とかそういったことではありませんが、

私のこれから1年間の生活が確実に変わってしまうであろう、

大きな決断です。

 

今週中には答えを出さなければなりません。

 

問題はシンプルで、

「集団に所属するかどうか」です。

 

 

子どもが生まれる前は

普通に会社で働いていたので、

もちろん集団に所属していたのですが、

 

かれこれ4年ぐらいは

家族という集団にしか所属していません。

 

 

それは、

人が好きで、

すぐ外に出て行きたくなる私にとっては、

 

人生初めての経験であり、

修行のような日々でした。

 

今日は詳細を書くつもりはありませんが、

つい最近まで子育ては私にとって

とても苦しいことでした。

 

なんとかいろんな人の支えのお陰で

ここまでやってくることができて、

 

今外に出ようと思えば

外に出られる環境になり、

 

とても気持ちは軽やかです。

 

 

そこで、私の決断に話が戻るのですが、

「集団に所属すること」

は私にとって恐怖ではありません。

 

これは、

誰とでも大概うまくやっていける

という、人が好きな私の長所でもあると思います。

 

しかし、最近

「集団に所属すること」で

人との温かい交流や、

誰かと笑い合える幸せを感じるのと同じぐらい、

 

気を遣って疲れる、

という自分を見つけてしまったのです。

 

なんでなんやろ。

私は誰かの前で

暗い顔もしてたくないし、

ネガティブな話もしたくない、

 

悪口なんて言ってる人を見たら、

なんでそんなことに時間を使うんだろう、

 

と本当に不思議に思うぐらいでした。

 

 

あ!

今書いてて一つ発見しました。

 

私は

「人の笑顔が見たい」

のかもしれません。

 

 

暗い顔より、

ネガティブな話をする顔より、

悪口を言う歪んだ顔より、

 

単純に

人の笑顔のほうが、

見ていてとても心地良いからです。

 

 

だから、

私は「人の笑顔が見たい」から、

人が笑顔でなくなるような言動を

自ら発することはしたくなかったのかもしれません。

 

 

でも私だって人間だから、

いろいろな感情があって当たり前なのですが、

 

人前ではそれを出さないように

一生懸命努めていたから、

 

人と会うと知らず知らずのうちに

神経をすり減らして

疲れていたのかもしれません。

 

 

私が

「集団に所属すること」に

うまくやれるか恐怖を感じているのではなく、

 

「気を遣って疲れ果てる」自分に

恐怖を感じているのだと、

 

今気づきました。

 

 

いい発見♬笑

 

 

 

「集団に所属すること」は

実は私にとって

一年前からやりたいことでしたが、

 

去年は子どもが小さかったこともあり、

叶わなかったことだったのです。

 

今年こそ、できる!

と思ったのはいいんだけれど、

なぜか去年と今年の私は

全然違うのです!

 

人は成長もするだろうから

違うのはすごく当たり前のことなんだけれど、

 

この一年の変化は

赤ちゃんが生まれてから

1歳になって立てるようになるぐらいの

変化なのです!笑

 

 

30歳から31歳になる、

とかいうのと

次元が違う変化です!笑

 

 

それだけ心もいろんなものの捉え方も

変わっているので、

 

去年やりたかったことが

本当にやりたかったことなのか

悩むのは当たり前なのかな。

 

 

たぶん勇気を持って踏み出せば、

楽しい経験になるはずなのも、

頭では分かってます。

 

今までは、

勇気を出して踏み出せてましたし、

それが私の物怖じせずチャレンジできる

強みでもありました。

 

 

でもなんでかな…

未知のことへの恐怖は感じないほうで、

むしろワクワクするぐらいなので

全然そこは気にしてないのですが、

 

 

私の心が、

「なんか違う気がする」

と言っているような気がするのです。

 

 

今までの私なら

チャレンジしなくて後悔するのは絶対イヤだったので、

この心の声は無視されてきました。

 

それで、

結果的にチャレンジして良かったことばかりだったので、

この心の声に

「でも、やってみなかったら絶対後悔するでしょ。」

という、思考の声が

反論してくる感じです!笑

 

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最初は乗り気じゃなかったけど、

やってみたらめっちゃ楽しかった。

 

↑こういう出来事ってよくあると思うんですけど、これって捉え方によると思っていて

 

「やってみたら楽しかった」のは結果論であって、

本当は「最初は乗り気じゃなかった」の気持ちを大切をしてあげなければいけなかったのかなぁ

と思ったりもして。

 

 

そうすると今回の悩みは………

 

 

 

 

あーーーーーーー

 

ほんまわからん。

どうしよ。笑

 

なんも頭の整理にならんかった。

でも少しは外に出せたから良かったんかな。

 

公開ボタン押すのも勇気いるわ。

最後のほう、心の声だだ漏れやし。

関西弁丸出しやし。笑

 

なんか笑えてきた。

まぁ笑えてるならいっかぁ♬

少し明るくなりました。

 

今週は悩みすぎずに悩もうと思います。

私の心が納得するまで。

 

ここまで読んでくださった方は、

私の心の友です☺️

本当に大好きです!!笑

 

ありがとうございます(*´∀`*)✨

とても大切な場所

みなさんにとって

大切な場所はありますか?

 

 

人や住んでいる環境によって、

さまざまだと思います(*´∀`*)

 

 

近所の海や川、

広々とした公園、

自然たっぷりの場所、

 

また、

 

学校の裏庭、

綺麗な景色が見える建物の屋上、

家の狭い場所(笑)

 

 

などなど

 

いろいろありますね♬

 

 

私は、

今でも忘れられない

とても大切な場所があります。

 

 

それは、大学時代に住んでいた

とても大きい湖のある県です☺️笑

 

 

そこに昔から住んでいる人にとっては

湖は当たり前のものでしたが、

 

山々に囲まれて育った私にとって、

こんなに広々として

遠くまで見渡せる湖はとても新鮮でした。

 

初めて見たとき、

「え、海やん!!」

とツッコミを入れるぐらいでした。笑

 

 

お天気の良い日には、

湖面がおひさまに反射して

 

キラキラと

とても綺麗な姿を見せてくれました。

 

 

そして、

何よりも

私が大好きだったのは

 

夕陽が沈む前の湖です。

 

 

オレンジ色に染まった空と、

それを映した湖を眺めていると、

 

空も湖もすべてオレンジ色の世界に

包まれているような気持ちになったからです。

 

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大学生活はとても楽しく、

友達にも恵まれ、

いろんな活動に積極的に参加していた私ですが、

実は人生の中でとても辛かった時期でもありました。

 

誰ともいたくないぐらい

落ち込むことがよくあったので、

 

そんなときには、

30分ほど自転車を走らせ、

一人で湖に夕陽を見に行ったものです。

 

 

言葉では言い表せないほど綺麗な

オレンジ色の世界に包まれて

ボーッとしていると、

 

いつの間にか心が癒されていくのが

わかりました。

 

もちろん一人だけの思い出ではなく、

友達と深夜まで湖のほとりで語り合ったことや、

腹がちぎれるほど笑い合ったことも

ありました。

 

 

本当にいつでも私たちを

変わらぬ姿で迎え入れ、

癒してくれたその湖は、

 

まさに「マザーレイク(母なる湖)」

そのものでした。

 

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いつかまたあの夕陽を

見に行きたいなぁ。

 

当時ガラケーで撮った夕陽の写真は

いつの間にかどこかに行ってしまい、

みなさんにご紹介できないのが残念です。

 

しかし、記録ではなく、記憶として

私の心の中に、

とても大切な場所として

しまってあります(*´∀`*)

 

 

ほんと水辺ってすごく癒されますね✨

私だけなんですかね。笑

 

海や川や湖、池など

たくさん水がある場所に行くと

 

とても心が洗われるような

気持ちになるのです♬

 

 

みなさんの大切な場所は

どこでしょうか?

 

忘れられない場所はありますか?

 

感性によって仕事をする人たちの、心の葛藤とは

 

世の中には自分の感性を表現し、

何らかの形に表すことによって

仕事をしている人たちがいる。

 

 

小説家

画家

楽家

写真家

ダンサー

クリエイター

 

など、

 

 

今日は、そんな人たちの

仕事における心の葛藤みたいなものを

考えてみたいと思う。

 

 

小説家や画家になる人はおそらく、

 

自分の表現する本や絵や音楽が

世の中のたくさんの人に知られること、

 

が大きな夢だろう。

 

もっと言うと、

それによって

誰かに良い影響を与えたい、

と思っている人もいるだろう。

 

 

そのために、

まだ駆け出しの頃は

自分の感性の赴くままに

 

文章を書き、

絵を描き、

音楽を奏でる。

 

それが

いつか多くの人に認められることを

信じて。

 

 

そして、

人によっては

何十年もかけてようやく

称賛に値する作品を生み出せるようになり、

 

一つの作品が、突然

世の中の人に知られるようになる。

 

最初はとても嬉しいだろう。

 

長年の苦労のすえ、

自分が生み出した作品が認められ、

多くの人に称賛される。

 

 

自分の純粋な感性で生み出した作品だとしたら、

これ以上の魂の喜びはないだろう。

 

 

しかし、大変なのはそこからだ。

 

 

一度、人に認められる喜びを知ると

今度は

「純粋な感性」から作品を生み出すより、

「認められたい感性」から作品を生み出そうと

するようになる可能性があるからだ。

 

 

あくまでも可能性であって、

皆がそうではない。

 

しかし、

人間が元々一人では生きていけない

生き物なのだとしたら、

 

どこかの集団に所属し、

自分の「存在価値」を認められ

誰かの役に立っている、

 

ということが、

一人の人である「表現者」にとって

心の拠りどころとなってしまう

可能性がある。

 

 

それによって、

自分の「純粋な感性」で表現することが、

いつの間にか「認められたい感性」で表現することに、

すり替わってしまうかもしれないのだ。

 

まだ、それに気づける人は幸せだ。

 

同じく、どんな状況でも

自分の作品に対する人の評価を気にせず

自分自身のために表現し続けることができる人も、

幸せだろう。

 

しかし、多くの人は

その壁を乗り越えるのに

とても苦労することになるはずだ。

 

 

「認められたい感性」によって生み出された作品は

いくら世の中に称賛されたとしても、

自分の心が満たされることはない。

 

 

ここまで読んでいただいた方は

お気づきかもしれないが、

 

 

「純粋な感性」とは、自分自身の本当の心。

 

「認められたい感性」とは、他人の評価を軸とした

「感性」の皮を被った「思考」そのものなのだ。

 

 

そのことに気づけない場合、

自分の「感性」に従い作品を生み出し、

評価されているはずなのに、

なぜか心が満たされない…

 

という葛藤と闘うことになるだろう。

 

 

本当に自分の

「純粋な感性」の声を聞き続けることと、

それを仕事にして評価を得ることの両立は、

とても難しいのだ。

 

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ここまで、

小説家でも画家でもない私が

なぜこんなことを書くのか

不思議に思った方もいるかもしれない。

 

そんなこと本人にしかわからないだろう?

 

と思う人もいるだろう。

 

 

 

いや、それが少しは分かるような気がするのだ。

 

こうやってブログで表現することも

私の「純粋な感性」に従って書いているつもりだし、

とても心が満たされて幸せな時間だ。

 

しかし、

読者の方が増え、

応援してくださる方が増え、

多くの人の目に触れる機会が増えると、

 

それが嬉しいと感じると同時に、

ブログを始めた当初よりも

 

「認められたい感性」側に寄っているような

不思議な感覚に陥るからである。

 

 

表現することを仕事として

収入を得ていない私でも

こんな自意識過剰にも似たようなようなことを

感じるのだ。

 

人間の「認められたい」「人の役に立ちたい」

という欲求は、

もはや魂の根源的な欲求なのかもしれない。

 

そうは言っても、

私は私の言葉で自分を表現する喜びを

知ってしまったので、

全然やめられそうにもないのだけれど。笑

 

 

だから、なおさら

表現することを仕事として

日々活動されている方の

心の葛藤は計り知れない。

 

自分自身の心が納得することか。

認められることか。

 

つまり、

いくつもこの世に有名な作品を生み出した

有名な表現者は、

 

この葛藤を乗り越え、

あるいは葛藤を抱えながら

作品作りをしているのだ。

 

 

そう思うと、

作品そのものよりも、

 

その作品を生み出す過程自体が

称賛に値するのかもしれない。

 

 

そんなことを、

しみじみと感じた。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました(*´∀`*)