ハイジの心で感じるままに

自然とともに、私を生きる。

子どもの体調不良、という現実を通して感じること

ほんの数年前は子どもが熱を出した時

「子どものせいで、行きたいところに行けない」

と本気で思っていた。


自分でもひどい母親だなぁと思う。

 

今思えば、女性性を封印して生きてたから
我が子を愛しく想う気持ちが
他の人より随分と足りない気がしてて。

 

そんな自分を責めたこともあった。

 

けれど、そこから自分と向き合い続け、自分を知ることによって

「あぁ私は、家族や身内より、社会や他者に意識が向きやすい性質なんだ。いい悪いではない、性質。それが私なんだ。」

そう自分を認められたとき

 

誰かと比べ、母親としての自分として
「こうあるべき」という呪縛や囚われから

スーッと解放された。

 

そして今同じように子どもが熱を出した時。

フリーランスでいるお陰で、しんどい子どものそばにいられて、本当に幸せだなぁ。ありがたいなぁ。」

という気持ちが湧いてくる。

そんな気持ち、今まで知らなかったから、本当に自分なのかな?

と思うほど、すごく不思議。

 

「誰かのせい」が
「何かのお陰」に
変わったんだなぁって。

 

外側への批判から、感謝に変わる瞬間。

 

それは決して「感謝しなくてはいけない」
と自らに課したものではなく

私が私という人間をそのまんま認めた先に

感謝という感情が自然と湧き上がってきた
ということ。


だから偉いとか
みんなもそうしろとかじゃ全然なくて。

コントロールできない子どもの体調不良、という変わらない現実なのに、

捉え方が変わることで

今感じている「苦しみ」や「怒り」が
「感謝」や「幸せ」に変わる。

そんなことがあるよ、ということ。

 

それは紛れもない
自分の心の変化によって生まれる

違う世界を生きている感覚。

 

何なら、数年前より物質的な豊かさや
一般的な幸せは手放しているはずなのに

「あぁ本当に幸せだなぁ」

と感じることが
信じられないほど増えたということ。


つまりは

自分の「心」を通して
この世界を見ている(感じている)

という何よりの証拠。

 

幸せになりたいなら
自分の「心」を知り、感じ、自分を愛することを
避けては通れないんだと

 

自分の人生を通して
子どもというかけがえのない存在に出会ったことで

私は、学ぶことができた。

 

すべては最初から
この学びのために仕組まれた

壮大な布石だったのかもしれない

なんて最近は思う。


女性性を封印して生きざるを得ない環境にいなければ…
私がもっと家庭的な性質であれば…
結婚して子どもを授からなければ…
母親としての自分を責めなければ…

 

きっと今の私は存在しないから。
すべては線のように繋がっているのだ、本当に。


だからその物語の壮大さに降参して

すべてに感謝するしかない。
本当に人生のすべて。

 

どんな私も受け入れ
いつも純粋な愛で私を愛し
癒し、気づかせ、学ばせてくれた

子どもという存在に
心から感謝。

 

ありがとう、2人とも大好きだよ。

私と出会ってくれて、ありがとう。