ハイジの心で感じるままに

自然とともに、私を生きる。

思考と感覚、どっちを使ってますか?私の人生の話をします

思考と感覚を普段意識して

使い分けてる人はいますか?

 

今日は私の人生の話を少し。

「思考」と「感覚」という視点から

振り返ってみたいと思います。

 

少しといっても長文なので、

私のことをそんなに知りたくない方は

そっと戻るボタンを押してください^_^笑

 

 

思考というのは、

「頭」「脳」を使って考えること。

 

感覚は、

「心」を使って感じること。

 

 

だと私は思っています。

 

 

私はプロフィールにも書いているとおり、

自然たっぷりの環境で幼少期を過ごしました。

 

そのときは弟も生まれていなかったため、

私の唯一の友達は自然と動物たちでした。

 

 

当たり前ですが、

自然や動物は言葉によって

意思疎通することができません。

 

なので、必然的に

「感覚」を使って

コミュニケーションをとっていました。

 

 

そのときにはそんなこと考えたこともありませんでしたが、

 

飼っている犬や鶏や牛たちが

今どんな気持ちなのか?

(もちろん動物に感情はありませんが。笑)

 

を自分なりに察して、

お世話をしたり遊んだりしていました。

 

 

自然や動物のおかげで感性が研ぎ澄まされたのか、

人に対しても

人がどんな感情を抱いているのか、

本当の心はどこにあるのか、

 

だいたい察する「感覚」が身につきました。

 

 

 

小学校に入り、

いろんな先生や友達と接する中で、

正義感が強かった私は

 

権力によって支配しようとする、

いわゆる女子のボス的な人と

対立するようになりました。

 

学級会などで決め事をするとき、

ボスの発言は絶対で、

誰も反対意見を言えない空気感がありました。

 

私はそんな中でも、

自分が正しいと思ったことを貫き、

「それは違うと思います」

とハッキリ言ってしまうほうでした。

 

それが一人であってもです。

 

今思ったらなぜあんなに対立してたんだろう、

と思うのですが、

 

自分の中の「正しい」という感覚を

権力によって歪められるのは嫌だ、

と思っていたんだと思います。

 

 

しかし、小学校高学年にもなれば、

女子はグループで群れ始め、

自分に合う感覚の人はいなかったため、

一人になりました。

 

今考えればそれで良かったのだと思うのですが、

小学生の狭いコミュニティの中では

辛い日々を過ごすことになりました。

 

結局、様々な葛藤を経て、

こんなに辛い思いをするのなら、

こんなに学校生活が嫌になるのなら

 

「人に合わせたほうがいいのかもしれない」

 

という、

〜したほうがいい、〜すべきだ

と「思考」

を使って過ごすようになります。

 

私の大切な「感覚」が封印されたのはそのときです。

 

 

小学校高学年で気づき、

中学校が終わるまで1クラスしかなかったため、

 

良くも悪くも人間関係は変わらず、

女子のボスによる支配はさらに強くなりました。

 

 

私の「感覚」は人に合わせたくない、と思う、

しかし

私の「思考」は人に合わせるべきだ、と思う

 

 

 

そんなちぐはぐな状況に、

私の心はだんだんと蝕まれ、

心がバラバラに引き裂かれました。

 

それが中学校2年生のときです。

 

心がバラバラになったのには、

父親が亡くなったことも強く影響しているのですが、

これはまた機会があれば書きます。

 

 

心が壊れてしまってから、

ずいぶん長い間、

普通の学校生活が送れませんでした。

保健室の先生にとても助けられました。

 

先生の献身的な支えのおかげで、

私の心は少しずつ回復し、

中学校3年生のときには

だいぶ元どおりの生活が送れるようになりました。

 

 

しかし「思考」優位の生活は、

そこからずっと続きます。

 

高校、大学、社会人からつい最近に至るまで、

 

人の目を気にして

「こうしたほうがいい」

「こうするべきだ」

に縛られて生きてきました。

 

 

それが「思考」

であることにはまったく気づかず、

 

こんなに頑張っても報われない、

なんでこんなに上手くいかないのか、

そんな思いが募るばかりの辛い日々が

ながーく続きました。

 

そのながーい日々は、

長くなるので

また今度書きます。笑

 

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今はいろんなきっかけがあって

「感覚」を大切に生きることが

できるようになってきました。

 

昔持っていた「感覚」を思い出した、

といったほうがしっくりきますが。

 

もちろん何かを深く考えることは昔から好きですし、

そういう意味の「思考」は使っています。

 

読者や哲学が好きなのも、

そこから来てるのかな、と思います。

 

 

しかし「感覚」を大切にするようになってから、

私の心や身体が喜んでいるのが

分かるようになりました。

 

また、不思議と感覚が合う人と

出会えるようになり、

それが私にとって一番嬉しかったことかもしれません。

 

 

もし、私と同じように辛い思いをされてきた方や

今も辛い思いをされてる方がいらっしゃったら、

 

それは「思考」や「感覚」の使い方が

解決のヒントになるかもしれません。

 

カウンセラーでも、

専門家でもない私ですが、

私の経験が誰かの何かのきっかけになれば…

 

と思い、

今日は書いてみました。

 

 

長くなっちゃいましたが、

最後までお読みいただいた方

本当にありがとうございます(*´∀`*)

 

私はここでみなさんと出会えたことに

心から感謝して、

これからもこのご縁を大切にしていきたいです♫

いつもいつもありがとうございます😊😊😊