ハイジの心で感じるままに

自然とともに、私を生きる。

私の人生の中で最大の発見で、たぶん一番大切なこと。

今日は、自分の心と見つめ合って

言葉では言い表せないほど落ち込んでいて、

本当はブログを書く気分ではなかったし、

書かないほうが気持ちは楽なんだろうけど…

 

私の人生の中で恐らく一番と思えるぐらい、

大切なことに気づいたので、書いてみます。

 

今日はかなり長文なので、

読んでもいいよ〜と思ってくださる方だけどうぞ。

 

 

今日のテーマは、

私が人間関係を築くうえで、

どういう想いをベースに持っているか、

ということです。

 

結論から言います。

 

私が作り出す人間関係はすべて、

「大切な人を失うかもしれない恐怖」

から成り立っています。

 

なぜ、そのような恐怖を抱くのか。

 

それは

10歳のとき、事故によって、

「父親という大切な人を亡くした恐怖」

からきているのだと最近気づきました。

 

父親は、事故である日突然亡くなったので、

10歳の私にとっては最初は全く実感がなく、

母と弟の3人が残され、

日々の生活を守るために必死でした。

 

そこに誰かに「甘える」という余裕は一切なく、

むしろ自営業の母を助けるために

私の心の声は、私によって無視され続けていました。

 

そうすることが必要だったからです。

 

辛すぎる記憶で、もうあまり覚えていませんが、

父親が亡くなって、

本当の意味で悲しむことができるようになったのは

一年以上経ってからだったと思います。

 

母親にはそんな姿見せたくなかったので、

一人でいるときだけ、

自然といろんな感情が溢れ出してきました。

 

そこで一番強く感じたのが、

 

「人はいつ死ぬかわからない」

「私がどれだけ長く生きても、もう二度と父親に会うことができない」

 

ということでした。

 

小学生の私には、

到底抱えきれないほどの

絶望感と恐怖と寂しさを味わいました。

 

どれだけ涙を流したかわかりません。

 

もし今の私の年齢で父親を亡くしたとしても、

大切な人たちの存在や、

魂の世界の話などを知っているおかげで、

悲しみを「受け入れる」ことができると思います。

 

しかし、当時の私は

田舎の小学生の小さいコミュニティの中で、

人と感覚が違うことで孤独感を感じていたので、

信頼できる友達もいない。

家族にはもちろん甘えることができない。

 

そんな、どうしようもない環境で

父親を失った悲しみを心の中に押し込めて、

「無理やりなかったことにする」

しか、私の選択肢はありませんでした。

 

さらに、母親も私たちが見えないところで、

泣いているのを見てしまったので、

 

幼心に、

「私が悲しんでいる姿を見せてはいけない。

お母さんだって苦しいんだから。」

と強く思いました。

 

胸に張り裂けそうな思いを抱え、

時には一人で涙を流しながら、

つらく苦しい日々は過ぎていき、

 

悲しみきれなかった感情と

外に出してあげられなかった感情は、

 

いつの間にか

心の奥底にしまわれることになったのです。

 

 

と、ここまでが父親が亡くなった当時の話です。

 

 

私はこの経験によって、

 

「人はいつ死ぬかわからないから、出会った人とはなるべく笑顔で接したい。」

と思うと同時に、

 

「もし大切な人に出会っても、いつ失うかわからない。」

 

という、

強い恐怖も抱えることになったのです。

 

これが、

私の人生で、今の今まで抱え続け、

自分も気づくことができなかった

私の心を縛りつける鎖でした。

 

「大切な人に出会っても、いつ失うかわからない恐怖」は、

 

私に

以下の2つの行動をさせました。

 

「基本的に人を信じない」

「信じることができる、と感じた人は全力で大切にする」

 

 

「基本的に人を信じない」ことによって、

私から離れていっても自分の心が傷つかないように予防線を張る。

 

「信じることができる、と感じた人は全力で大切にする」ことによって、

私から離れていかないようにあの手この手で繋ぎ止める。

 

どちらも

「恐怖」の感情から生み出された、

私の心をこれ以上傷つけないための

最大の防衛行動でした。

 

 

みなさんもお分かりかもしれませんが、

こんな感情で人と付き合っていると、

様々なおかしいことが起こります。

 

相手がどれだけ私を信じてくれていたとしても、私が信じていないから

人といても孤独感を感じる。

 

全力で人を大切にするから、

人に合わせる、異常に気を遣う、迷惑をかけて嫌われたくない、という思いが芽生える…

 

などなど。

 

こういった少しのことかもしれませんが、

日々の信頼関係の積み重ねである人間関係において、

少しずつひずみのようなものが溜まっていき、

 

最終的には爆発してしまいます。

 

人に悪く思われることはあまりないのですが、

私だけが変な我慢をして爆発するので、

最終的に縁を切るしか、私の心を守れなくなる、

という

いつも最悪な悪循環に悩まされていました。

 

人には恵まれていたので、

本当に優しい人たちに囲まれていたにも関わらずです…

 

私の心の問題によって、

人との間に「恐怖」による信頼関係が築かれ、

それによってうまくいかないことのほうが

多かったのです。

 

 

ここ最近、色々なことを考え、葛藤と闘い、

今日このことに気づいた私は、

なんだか妙に納得しました。

 

男女どちらともそうなのですが、

特に男の人に対しては「恐怖」の感情が

さらに強く出ます。

 

それはやはり父親に対する感情から起こった

「恐怖」だからだと思います。

 

愛をたくさん注いでもらっても

信じてないから受けとれない。

 

どれだけ甘えたくても

迷惑をかけたくないから甘えられない、頼れない。

 

それは、もれなくすべて!

父親という「大切な人を亡くした恐怖」から

生まれたものなのです。

 

私が人の愛を本当の意味で受けとれない、

根本的な原因を見つけることができました。

 

 

あーーーー本当に苦しかった。。。 

 

 

この答えにたどり着くまで、

何十年かかったんだろう。

 

たくさんの優しい人たちを傷つけてきたし、

もちろん私自身も傷ついていたんだなぁ

と強く感じました。

 

でも、

原因がわかると少しスッキリするものです。

 

起きた過去は変えられない、

けれど、

これから生きる未来は変えられる。

 

これからの人間関係は

私自身の手で変えていく。

 

「恐怖」ではなく「愛」による

人間関係に、必ず変えていける。

 

そしてそれは間違いなく幸せに繋がっている。

 

そして、いつか向こうの世界で父親に会ったときに伝えよう。

「大切な人たちと愛で繋がったよ!」って。

 

なんだか一つの大きな壁を乗り越えたかもしれない。

そんな気持ちになった大切な今日でした☺️

 

いつも言ってますが、

私にとって本当に大切なことなので

何度でも言います!

 

私と出会ってくださったお一人お一人に

本当に本当に心から感謝しています。

ありがとうございます✨🙏✨

そして、どうかこれからもよろしくお願いします☺️💕