ハイジの心で感じるままに

自然とともに、私を生きる。

レジのビニールカーテンに泣けてくる、その理由

スーパー、ドラッグストア、病院など

 

どこに行っても

「感染予防」のための

ビニールカーテンがしてある。

 

 

初めてドラッグストアでそれを見たとき、

私はすごく衝撃を受けた。

 

それと同時に涙が出そうになった。

 

あまりにも突然の自分の感情にビックリして、

その場では涙をこらえて

お会計を済ませ家に帰った。

 

子どもも連れていたし、

もちろん周りの人の目もあるし

感情のまま泣くわけにもいかなかった。

 

それから何日か経って、

自分の感情を冷静に見つめることができるようになったとき、

 

私はビニールカーテンを

「人と人とを隔てる壁」のように

感じ、

それがどうしようもなく悲しかったことに気づいた。

 

 

わかってる。

 

カーテンは「感染予防」のため。

 

従業員さんと、

お客さんである私たちを守るため。

 

 

頭ではちゃんとわかってる。

 

「感染予防」以上の意味はない。

こんな状況下で仕方がないのもわかってる。

 

 

でも、ただただ、

人と人とのつながりが

どんどん分厚い壁によって

遮断されていくような気がして悲しかった。

 

マスクで顔がわからないうえに、

ビニールカーテン越しにしか人に会えないなんて…

 

なんでこんな世界になっちゃったのかって

言葉では言い表せない絶望感を感じた。

 

 

たかがビニールカーテンで

なんでこんなに悲しくなるんだろう、

と思うし、

私の感情がおかしくなっちゃった!?

とも思ったけど、

 

私の心は、想像以上に傷ついた。

 

 

人とのつながりを絶たれることが、

私にとって一番つらいことなのだと、

痛いほど感じた。

 

書いていても心が苦しくて

締め付けられるみたいにキューっとなる。

 

 

私は昔から感受性が豊かで、

人が何も感じないところで、

喜怒哀楽を感じてきた。

 

それゆえに人より辛い思いもしたけど、

人には感じることができない世界を生きることができ、嬉しいこともあった。

 

ただ、悲しいことに出会ったとき、

涙が溢れて止まらなくなる。

 

 

もし、感情をそのまま出していいよ、

自分にGOサインを出してしまったら、

ビニールカーテンの前で

泣いていたかもしれない。

 

自分の感情に蓋をしないと、

生活の中で感じることが多すぎて、

とても自分の身が持たない。

 

そう思ったから、

感性を封印して、

現実世界を生きてきたんだ、と思った。

 

 

いつでも明るく強く生きてきたし、

現実世界の私と出会う人は

「悩みなんてあるの?」

と言うぐらい、私の表面しか見ていない。

 

私もそうしていたし、それで良かった。

 

けれど、

本当にそれでいいのか去年から考えてきて、

 

本当はありのままの自分で生きたい、

と思っていることに気づいてしまった。

 

 

ありのままで生きる、

ということは、私にとって

自分の感性の封印を解く、

ということなのだが、

 

今その作業の真っ只中で、

心の蓋を開けようとすると、

日常生活に支障が出るぐらい、

 

感受性が豊かになりすぎて、

いろんなことにいちいち反応してしまう。

 

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でも、それも自分なんだな、

と受け止めながら

少しずつ前に進んでいくしかないし、

 

そうすることでしか

私の蓋をしてきた感性は

癒されることはないんだろう、とも思う。

 

 

わかってる。

 

わかってるんだけど、

ほんとにこの過程が辛すぎて、

自分だけで抱えるには重すぎて、

 

せめて言葉にして自分の感情を受け止め、

心を整えたくて、

 

今書いてます。

 

 

 

あーーーーーほんとこんな弱かったんだ、私。笑