ハイジの心で感じるままに

自然とともに、私を生きる。

コロナ禍での苦しみと、その感情の先にある学び。子どもたちが教えてくれたこと。

生きていると、毎日いろんなことが起きて、

いろんな感情が生まれ、

嬉しいと感じ、

苦しいと感じるのだけれど、

 

その感情を感じ切った先に、

すごく大切な気づきや学びが必ず待ってる。

 

 

例えばなんだけど、

コロナ禍で私が苦しく思うことは、

 

子どもたちにマスクをさせること。

 

これは4月ぐらいからずっと感じていて、

今でも毎日感じることなんだけれど。

 

幼稚園に行くために

マスクをさせなければいけなくて、

毎日小さな手で文句も言わず

上手にマスクをつけている子どもを見て、

 

「なんでこんな世界になっちゃったんだろう」

「これは私たち大人の責任だ」

 

とかって、

前は毎日のように強く思っていて。

 

マスクの感染予防効果がそもそも疑問なこと、

子どもが正しくマスクを扱えるはずがないこと、

園児達を見ると、ヨダレや鼻水でベチャベチャのマスクを食べてたりして、

それをずっとさせ続けることの衛生的な弊害、

子どもたちのコミュニケーション能力や、

体や免疫の発達の阻害になることなど…

 

他にも挙げたらキリがないくらい

子どもにマスクを強制することが

そもそもおかしいよね…

ってずっと思っていて。

 

けれど、もちろんそういう理論的なことも大切なんだけれど、

何よりも子どもが、

 

「苦しいからマスクを外したい」

「コロナが早く終わればいいのに…マスクせんくていいから…」

 

と何かの拍子にふとつぶやく

この言葉が何よりも大切だと、私は思う。

 

子どもなりに今の状況を理解しようとして

普段は我慢しているけれど、

 

心では感じている

「苦しい」

という感情。

 

それが本当の子どもの本音だ…

と感じたときに、

苦しいことを我慢させてる私たち大人は

何てひどい世界を作ってしまったんだろう…

 

と、自分や社会を責める気持ちが生まれる。

 

 

こんな感じで半年くらい過ごしてきて

色んな場所にでかけるたびに、

マスクに関して何も感じない日はなくて…

 

気にしないようにしていても

辛かったなぁ…って。

 

けれど、

こんなに半年間辛いと思い続けた、

感じ続けた「苦しい」と思う感情が

 

今朝ふと、

「あれ?これは大きな視点で見ると、子どもたちにとって必要な経験なのかな?」

 

って突然思えるようになって。

 

そう思うと、

今日も何も変わらずマスクをして幼稚園に送り出したんだけれど、

先週まで感じていた感情ほど

苦しく感じなくなって。

 

もちろん、現実は変わらないし、

子どもたちの苦しいかもしれない状況は変わらない。

それに対して、私ができることは

なるべくしてあげたい…という子どもを想う気持ちは全然変わらない。

 

けれど、私が

「子どもがマスクをさせられて可哀想」

と強く思う感情が

ふっと楽になったような、軽くなったような

そんな感じがした…

 

そう感じるのはたぶん、

私たちは人生で起こる

良いことも悪いことも、

良い人や悪い人との出会いも、

 

すべては必要な学びを経験しているだけ…

だと心から思えるようになったから。

 

良い、悪いと書いたけれど、

それは一般的に良い、悪いと分類されるだけであって、

そもそも出来事にも人にも

良い、悪いなんて本当はない。

 

ただ、そこから何かを学ぶ必要があるから、

出来事や人と出会うだけ。

 

そう心から思えるようになったから、

今子どもたちに起きている状況も

これからを生きていく子どもたちにとって

ただ必要な経験をしているだけ、かもしれない…と。

 

小さい頃から

「不自由」の意味を知り、感じることは

本当の意味での「自由」を知ることなのかもしれない。

 

大人が自分の内側にある感情を子どもに投影し、

正しいことをしているように正当化して、

外側と闘うのはたぶん違う。

それはたぶんただのエゴ。

 

子どもたちに与えられている学びを

私たちは奪うことはできないし、

社会として時代の流れとして

必要なことが今起こっているだけ。

 

子どもたちは、その時代の中で

必要な経験を今しているだけ。

 

そう思えるようになって、

私自身すごく楽になった。

 

別に子どもだけじゃなくて、

大人だって同じこと。

このコロナ禍で起こる様々な出来事も、

不自由も恐怖も…

すべて私たちに必要な経験をしているだけ。

 

ウイルスを悪だと思うことも、

マスクをしないことを悪だと思うことも、

陰謀者を悪だと思うことも、

どれも気持ちは本当に良く分かるけれど、

 

善悪の二元の世界で生きる

自分の内側が投影されているだけ。

 

外側の悪と闘ってもたぶん意味がない。

私たちの内側と見つめ合う壮大な機会を

今経験しているだけ。

 

自分の内側を見つめ

自分が「こうしたい」と思うことを

ただその通りに行動すればいい。

 

そこに他者は関係なく、

自分の自由は奪えないし、

他者の自由も奪えない。

そこには自分と他者を尊重する気持ちがあるだけ。

 

それがたぶん、

これからの時代を生きるために

一人一人が通らなければいけない

「コロナ」という経験。

 

これが、

私がずっと書こう書こうと思い続けてきて

なぜか上手く書けなかった「コロナ」への

自分なりの解釈であり、

 

私が感じ切った感情の先にある

必要な学びだったのかなぁって。

 

長くなってしまいましたが、

みなさんはどう感じますか?

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました☺️