ハイジの心で感じるままに

自然とともに、私を生きる。

「生きてこそ」豪雨災害から感じること

今日は、九州で豪雨災害があったことを

ニュースで知りました。

 

私がブログを書いている今でも

救出を待ち不安な時間を過ごされている方が

いると思うと、とても胸が痛みます…

 

一刻も早く救出されること、

そして一人でも多くの人の命が助かることを

心から祈らずにはいられません…

 

 

 

いつも豪雨災害のニュースを見る度に

思い出すことがあります。

 

それは、東日本大震災が起きた同じ年に、

私の実家がある田舎で、台風による

甚大な豪雨災害が起きたことです。

 

私はそのときは実家を離れていたので、

見たこともない規模の土砂崩れや

知っている河川の増水の映像を

ニュースで見たときには

本当に言葉が出ないくらいショックでした…

 

すぐさま実家の母に連絡を取り、

母と弟が無事だったことが分かったときには、

 

本当に心の底から…

「生きていてくれて良かった」

と思ったことを今でも鮮明に覚えています。

 

本当に山奥で一本道しかないようなど田舎なのですが、

大規模な土砂崩れによってその道を寸断され

私たちが住んでいる集落や、もっと奥の集落は

「孤立状態」になりました。

 

復興されるまで、

学校や仕事に通うために、

迂回路として昔の山道を使っていたそうなのですが、

 

車が一台通れるだけの道ですれ違うのも危険な上に、

少し強い雨が降れば通行止めになったそうです。

その山道もまた、いつ土砂崩れが起きるかわからない、

常に危険と隣り合わせの道だったからです。

 

普通の生活もままならない、

お年寄りは病院に通院することもできない、

本当に想像を絶するような状況で

何ヶ月も過ごしたそうです。

 

それを母からメールや電話のやりとりで

聞いていた私は、

「当たり前の生活は、決して当たり前ではない」

「命があることも、決して当たり前ではない」

ということを、とても強く実感しました。

 

 

だからこそ、

豪雨災害のニュースを見る度、

他人事とはまったく思えず心が苦しくなります。

 

そこに日々生きている

一人ひとりの大切な命があることを、

誰かが大切に思う命があることを、

実感として知っているからです。

 

 

「生きているだけで素晴らしい」

 

 

突然の災害で大切な人を失ってしまうかもしれない…

と本気で思ったときに

人の命の尊さが、私の心に強く強く刻み込まれました。

 

 

どんな人でも生きてさえいれば、

命さえあれば、

 

何を持っていなくても、

命さえ持っていれば、

そこからの生活はなんとでもなる。

 

とにかく

「生きてこそ」「命があってこそ」の人生であることを

改めて今日のニュースで実感しました…

 

 

このニュースのことを考えていたら

ふと思い出した曲があるので、

最後にご紹介します。

良ければ聴いてみてください。

 

命があることは当たり前ではないこと、

生きてさえいればまたそこから始められることを、

歌った曲です。

 

今この瞬間にも災害だけではなく、

様々な苦しい状況にいる人たちに

どうか届くことを祈りながら…

 

 

Kiroro『生きてこそ』

 


Kiroro - 生きてこそ(MUSIC VIDEO)