ハイジの心で感じるままに

自然とともに、私を生きる。

個性豊かな子どもたちのために、今必要な教育とは。『夢みる小学校』という映画を通して、私が感じたこと。

こんにちは〜!

約3ヶ月ぶりの更新ですが、みなさんお元気にされてますか?

 

実は、私は3月に引越ししたこともあり

この3ヶ月はとても忙しく過ごしていました。

 

今回の引越しは、誰に言われるでもなく、転勤などでもなく

積極的に選択した引越しだったのですが

色んな人に引き止められるわ、心配されるわ、説得するわで

本当にてんやわんやな3ヶ月でした…

 

今いる場所を選んだ目的はただ一つ

「子どもの教育」です。

 

それも、一般的にお勉強ができるとか

レベルの高い先生や生徒がいるとか

そんなことではなく

 

私はただただ、自然豊かな環境の中で、

子どもたちが自分で考え、気づき、自分で体験し学ぶ、

そんな本当の意味での「生きる力」を育む教育に

触れさせてあげたかった。

 

それが一番の移住の理由でした。

 

 

そして今回、『夢みる小学校』という映画を見る機会があって

その内容が、私の理想とする教育と重なる部分がたくさんあり

すごく胸を打たれたので、久しぶりにこうやってブログを書いています。

 

私がこの映画を見て感じたことを、忘れないように

そして、教育について悩み、考えるお父さん、お母さんや

子どもの教育に興味がある方に届けばいいなぁと思い

ありのままの言葉で残しておこうと思います。

 

 

『夢みる小学校』という映画は、文科省選定映画で

「きのくに子どもの村学園」という私立の小学校を舞台にしています。

 

子どもたちの学校での取り組みや学習の様子、開校された校長先生の想い、

そこで働く先生方(この学校では先生とは呼びませんが…)の想いなど

を取材した、ドキュメンタリー映画です。

 

その学校を、教育の専門家である尾木直樹さんや

脳科学者の茂木健一郎さんが実際に視察されて、

子どもたちにとって、本当の「学び」とは何なのかを

一緒に考えていくようなストーリーになっていました。

 

 

この映画の中には、3つの小中学校が登場します。

 

・私立 きのくに子どもの村学園(山梨県

伊那市立 伊那小学校(長野県)

・世田谷区立 桜丘中学校(東京都)

 

この小中学校はそれぞれに、とても特色のある活動をしています。

 

先生がいない、宿題がない、テストがない

時間割がない、成績通知表がない、チャイムもない

校則もない、総合学習・体験学習の時間が多くある…

 

など、普通の小中学校では考えられないほど

自由度の高い「子どもファーストな学校」として取りあげられています。

 

ただ、今回は私はそれぞれの表面的な学校の説明をしたいわけではなく、

ネットで調べれば、いくらでも情報は取れるので

もし興味のある方は検索されてみてください。

 

変わった特色のある学校は、調べれば全国にあって、本なども出版されています。

 

本当にこんなこと、公立の学校でできるんだ!!

目から鱗だったりもしますので、興味のある方はぜひ。

 

 

 

私がこの映画を見て、一番に印象に残ったことは

「私は私のままでいいんだ」と、多くの子どもたちが思い

学校をありのままの自分の居場所だと感じている姿でした。

 

映画の舞台の、きのくに子どもの村学園は生徒が200名ほど。

自分の興味のある分野ごとに分かれ、1〜6年生の異年齢で混ざり合い

プロジェクトという体験学習を行います。

 

例えば

料理をつくるプロジェクト、大工仕事をするプロジェクト、工作やクラフトをするプロジェクト、伝統から学ぶプロジェクト、演劇をするプロジェクト、などなど…

 

自分の興味のある分野を自分で選び、

そこで子どもたちが自分たちで何をしたいかを決め

話し合い、必要なことは大人や地域の人に依頼をし

計画から実行まで、子どもたちが主体の活動です。

 

そこに「先生」はいません。

 

もちろん「アドバイザー」として、見守る先生的役割の大人はいますが、

あくまでも信頼して、見守ることに徹します。

 

すべては子どもたちに任せられているのです。

何かを決めるときに、子どもの一票も、大人の一票も同じ。

実際にそうやって、大人の意見とは違う方向に行くことも多いのだそうです。

 

その中で、子どもたちは失敗も、成功も全て自分たちの五感で感じ

気づき、学んでいく姿は、本当に「生きる」ことそのものだと

見ていて感じました。

 

その中で、得意な人が司会をして、話しあい、

時には誰かを思いやり、助け、

盛り上げる人も、冷静な意見を言う人もいて

みんなで知恵を出し合いながら、一つのゴールに向かって取り組む。

 

そこには、自分だからできることを思う存分、発揮する場所と

誰かと協力して何かをやり遂げる喜びを感じる場所。

 

そして、自分が自分でいて、仲間のためにできることがあるんだ!という

自分も他者をも尊重できる居場所がありました。

 

勉強ができる、できないに関わらず

自分が得意で熱中できることに没頭する…

 

そんな環境があれば、一人一人の個性を

思う存分伸ばしてあげられるんだと、見ていて感じました。

 

 

 

私はいつも思いますが、教育は「環境」です。

 

それは、もちろん学校が建っている場所としての「環境」という意味も大きいですが

何よりも大事なのは

子どもたちが「自分が自分でいられる環境」という意味合いが一番大きいと私は思います。

 

日本の一般的な学校では、知識を詰め込む教育としての学習に重きが置かれ

「正解」「不正解」の視点でのみ、その子どもを評価する。

 

そういった環境に身を置いていると

 

先生の顔色や、評価などを気にして

その期待に応えることが目的になったり、

批判をされたくないがために優等生を演じてしまい

自分が本当に好きなことを見失う、できない自分でいてもいいと思えなくなる。

 

それか

 

自分が人並みにできないことや、決められた枠からはみ出すことに

劣等感を感じてしまい、自分は何をやってもできないと思い込んだり

自信を失って、何に対しても無気力、無関心になってしまう。

そのやり場のないエネルギーが怒りに変わると、自他を傷つける。

 

それが、今の画一的な教育方法の限界です。

 

そして、悲しいかな、その子どもの頃の経験はその後の子どもの人生に

影響を与え続ける…

 

それによって、自分は自分でいいと思えない大人が

この日本にはたくさんいて、今も苦しんでいる人たちがたくさんいます。

 

「発達障がい」

という概念も、この画一的な教育の中に

個性豊かな子どもたちをはめ込もうとするから発生するのであって

 

脳科学の視点から考えると

一人ひとりの子どもの人格形成に

「発達障がい」という概念はない、と茂木健一郎さんはおっしゃっていました。

 

みんなそれぞれの個性があり、学び、気づき、学習するプロセスがある、

ただそれだけのことなのだと…

 

実際に、発達障がいだと言われ薬を飲み続け、

できないレッテルを貼られた子どもたちが学園に転校してきた事例も紹介されていました。

 

しばらく自由な環境に身を置き、薬を飲まずにいると

一般的に「問題」と言われるような行動も、ほとんど見られなくなったそうです。

 

その子が卒業するとき、

「私が私でいていいんだ、って思えました。私を受け入れてくれてありがとう。」

そんなことを最後のお礼の言葉として、残していった姿を見ました。

 

その子は「環境」によって救われたのです。

 

発達障がいの子どもたちだけではなく

一人残らずすべての!豊かな個性を持った子どもたちにも当てはまることだと

私は感じました。

 

 

「私は私のままでいい」

本当の意味でそう思えることが、この日本社会において

いかに難しいか…

それは、私自身も身を持って体感しています。

 

だからこそ、

未来ある子どもたちに、

どのような環境で、どのような教育を与えるのか

これは、子どもを持つ親だけではなく

社会を構成する一人一人が考えて欲しいことでもあります。

 

もちろん、私も日々子どもたちと接し、子どもの声を聞き

考え続けたいと思います。

 

 

最後に、きのくに子どもの村学園を開校された学園長先生の言葉で

印象に残っている言葉を紹介します。

 

『自由にさせるということは、自由と責任はセットである、ということを子どもに教えることではありません。自由にすることの責任はすべて、大人がとるから、大胆に何でもチャレンジしなさい。そう子どもたちに伝えてあります。』

 

私も子どもたちに、こう言える大人で在りたいと思います。

 

いつもにも増して長くなりましたが、最後まで読んでいただいた方

本当にありがとうございました。