ハイジの心で感じるままに

自然とともに、私を生きる。

個人セッションの体感・ご感想

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お話していたら、本当にあっという間に時間が過ぎていきました。とても有意義な時間だったな、と改めて感じています。美紀さんの言葉って、心に優しく触れてくれるんです。自分が感じていることを表現したくなる。だから、私自身も自分の思いに気づいたり、その思いを表現するために動き出したくなったりするのです。

前回お話をした後の1ヶ月ほどで、思ったことを行動に移している自分がいることに改めてびっくりしました。何となくですが、これからたくさんの変化が周りで起こるような気がします。もちろん、良い方向の変化だと思います。無理せずにゆったりと受け入れていきたいな、と思います。美紀さん、またお話させていただきたいです。(女性/オンライン)

 

初めて私の心を理解してくれる人に出会えて嬉しくて嬉しくて、初対面なのに何故か涙がとまりませんでした。出会うべくして出会えたと感じています。これからの自分が楽しみでなりません。どんどん自分を解き放っていこうと思います。

魂が望んでいることを行えて魂が喜んでいるんだと思います。美紀さんと出会えて本当に良かったです。(男性/対面)

 

今回、美紀さんに引き出し開けてもらった感じがしています。自覚の扉を開けてもらった様なそんな感覚。とにかくお話ししていたら、するすると出てくる気づきのワードとか。とても楽しくて自然な流れの中で起きるソレがとても楽しくて心地よかったです。

不思議な力を持った美紀さんと話せて繋がれて良かった。これからも何かの時にお世話になるかもですし、出来たらリアルでお会いしたいです!(女性/オンライン)

 

美紀さんのアドバイスのおかげで、魂の声を疎かにしていた、楽しんでいなかったことに改めて気づかされました。なんとなくですが、ずっとあったシコリがなくなった様に感じます。このタイミングで美紀さんとお話しできたこと、神様からのプレゼントでした。心から感謝いたします。(男性/オンライン)

 

勇気を出して申し込んで良かったと思っています。自分に帰ろうとしているっていう言葉で涙ぐんでしまいました。私はずっと変わりたい、変わらなくちゃ、と思っていました。でも本当の奥底の想いは自分に戻りたい、だったんですね。違う人間を目指そうとしている感じから抜け出せなくて辛かったのですが、自分を思い出していけばいいんだ、戻ってもいいんだと思えたら少し楽になりました。

少しずつ、できるところから豊かな選択をしたいと思います。がんばらなくていい、という言葉も本ではたくさん見かけましたが腑に落ちず(笑)みきさんとお話ししていて初めて、本当にそうなのかも、そういうことか、と心が感じました。

初めてお会いしたのに、なんでこんなに私の性格がお見通しなんだろう!とびっくりしました。また機会のある時にお話したいです。みきさんとお話できてよかったです。(女性/対面)

 

ターニングポイントにはいつもお世話になってます。セッションのお手本と言える美紀さんのトークは楽しくてその中から学びがあります。キーワードは自分で言っているんだけど、そこへ導いてくれる美紀さんをいつもスゴイ!って思います。時期が来ればまた美紀さんのもとに現れると思います。その時はどうぞよろしくお願いいたします。(男性/オンライン)

 

あまり人からわかってもらえなくて、モヤモヤしていた気持ちを優しく噛み砕いてお話して下さり、本当にありがとうございました。辛い状況に変わりはないかもしれませんが、美紀さんが仰って下さった優しくて温かい言葉が、自分の中で小さなお守りになった気がします。勇気を出して美紀さんにカウンセリングをお願いして、本当に良かったと思います。また、お願いしたいです。(女性/オンライン)

 

お会いするたびに忘れていたことに気づかされ、これからの自分の生きる道のヒントを引き出してもらえます。自分が本当にしたいことが、話すたびにだんだん整理されていく感じです。秘めてきた自分の想いに気づかされ、ワクワク気分でやってみようという気になりました。

美紀さんには自分が抑えてきたこと、誰にも言えなかったことも自然に話せてしまいます。決して上から目線ではなく、対等に心のふれあいができる信頼できる方。定期的に話を聞いてもらえるとありがたいなと思っています。(男性/対面)

 

向き合ってもらえて何よりの癒しになりました。話の中で昔の悲しみが、涙になって溢れて傷ついていたことに改めて気がつき、認められました。そのほかにも必要な気づきをいただきチカラとなっています。また肩を貸してほしい時に頼らせてもらいたく思いました。(女性/オンライン)

 

漠然と最近調子が良くないなぁと考えてたことをしっかり言語化してもらって、今後どうしていきたいかを再確認できました。美紀さんが僕の内面をしっかり理解して一緒に考えてくれる姿勢が伝わってきて本当に嬉しかったです。ここまで相手の内面を理解してくれようとする姿勢の方はなかなかいないですし、お金を払っていることでこっちも受け止めることが出来るのかなと思ってます。(男性/オンライン)

 

私は、頭では理解できているのに、気持ちの上で腑に落ちて無い事が多くて…「ありのままの自分」を自分ではしていたつもりになっていましたが、今回美紀さんとお話をして、ありのままの自分になっていなかった事に気付く事ができました。そして「ありのままの自分」を腑に落とすことができました。

美紀さんは、穏やかな雰囲気で、とても話し易くて。言葉が的確で、心地よく聞く事ができ、不思議と素直に受け止める事もでき、心に響いてきました。今回のセッションで、新たに気付けた事、自分でも薄々感じていた事の答え合わせもできた事、色々な事を学ぶ事ができました。また話したい。もっともっと話したい。セッション後の気持ちです。(女性/オンライン)

 

警戒心の強い私が初対面とは思えない感じで、安心して心を開いて話ができたのは、美紀さんだけだったなと今日改めて思いました。何度かお話ししてきましたが、今日は心の奥深くに潜んだ核心に触れた思いです。幼少期に植え付けられた深い屈辱感、憎しみなどの心の傷が今でも続いていて、カタチを変えながら繰り返されてきたことを思い知らされた感じです。

涙が溢れてきたのは心の奥から絞り出された叫びだったのかなと。今満たされて解消できたと思っていたのに実は心に根深く残って、行動や思考が縛られていたことに気づけました。それは、私にとってすごく大きなことで、すぐにはできないかもしれませんが、心を解放できるかもしれないと感じています。心のブロックは奥のまた奥に潜んでおり、セッションを何回も受けてやっと辿り着けたような感じですが、まだまだあるかもしれないと思います。(男性/対面)

 

幼少期からの壮絶な体験に対して、ひたすら共感の姿勢で聴いてくださったことが嬉しかったです。どんな発言も否定されることなく、丸ごと受け止めてくださり、とても安心して話すことができました。また今の環境が幸せに満ちたものであることを改めて認識することができ、目の前の幸せに感謝の気持ちが溢れました。

まだまだ、言語化することへのブロックがかかっているようなので、上手く言葉にできないのですが、美紀さんと出逢えたこと、お話できたこと、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。またセッションを受けたいと思っています。(女性/対面)

 

お話しして感じるのが、心を解き放して素直になれるのが不思議で、とても心地よい楽しい時間を過ごせました。美紀さんから受け取る言葉の数々、自分が発する言葉などを通して、ハッと自分の今の心の状態を気づかされたり、高揚感、最高の心の楽しさを覚えました。

これからどうなるか、ワクワク、希望に満ちています。また色々お話しさせてください。(男性/対面)

 

穏やかな陽だまりにいるような感覚で、お話ししながら心地よかったです。自分の感覚を信じて、これからも歩いて行っていいんだとわかって安心しました。

動くまで時間のかかる私ですが、その時が来たら突拍子がなかったり、無謀に感じられても動く、と自覚してる部分もあるので委ねようと思います。今回、美紀さんにきっと最善のタイミングでお会いできたことも自分の感覚だと思うと「まちがいない!」と。(女性/オンライン)

 

2日間にわたるセッションを引き受けていただきまして、本当にありがとうございました。感謝しかありません。やっぱり実際にお会いして、お互いの表情、声を感じ取りながら語り合うセッションは何ごとにも変えられない幸せな体験でした。誰にも話せなかったことも美紀さんには、素直に自分の気持ちを自然にさらけだしてしまいます。

何気ない会話の中で、自分の本音がポロっと出てしまう不思議さはなんでしょう?それなりに自分と向き合ってきても、邪魔しているものに自分が蓋をしていたことに気づかされ、今後の生き方に背中を押してくれたセッションでした。長年生きてきて、美紀さんのような人には初めて出会いました。こうなるように導かれた必然だと感じます。(男性/対面)

 

今日はセッションありがとうございました。すごくわかりやすくて、たくさん気づきがありました!初めてお会いした感じがしなくて懐かしい感じで一緒に居て居心地が良かったです。今度は長野に行きたいと思います。(男性/対面)

 

一人では気づけなかった視点、でも振り返れば全部繋がってる!と対話を思い出しながら、気づきが続いています。色々握りしめていた手を緩められたような、背中が軽くなったような感じがしています。気づきの力はすごいですね。引き出していただいてありがとうございました。予想外のヒントをいただきました。

心地よさがナビなんだな…と改めて。キャッチしていけるように、心身を整えていこうと思います。(女性/オンライン)

 

初めて話したとは思えないほど、すんなり美紀さんの雰囲気を受け入れることができたのが不思議でした。今まで抱えていた心の闇が晴れたようで、スッキリしたし話していて心が暖かくなりました。とても楽しいセッションでした。(30代 / 男性/オンライン)

 

急な依頼にも関わらず快く引き受けていただき、とても丁寧にカウンセリングしていただきました。今まで友人はもちろん、身内や他のセラピストの方に相談しても導き出せなかった答えに、とても緩やかに導いていただきました。ここまで心を開いてお話させていただいたことは生まれて初めてです(30代/男性/オンライン)

 

仕事や家族以外とこれだけ長い時間お話しする事が久しぶり過ぎて、始まる前は緊張していたけれど笑、いざ、お話ししていると楽しすぎて、あっという間に時間が過ぎていきました!そして、自分自身の心を振り返る意味でも、とても良い時間を過ごせたと思うし、自分自身の心が磨かれた様な気がします!(40代 / 男性/オンライン)

 

素敵なお時間と気づきをありがとうございます。こんなに心地よくて充実した時間を過ごしたのは久しぶりです。(30代 / 男性/対面)

 

オンライン上での知らない人と、話をすることができて、ホッとした。前向きになった。美紀さんのように優しい自然体の人と話をする場ができると、とてもリラックスできる。やっぱり顔見て話ができると安心感が違います。(50代 / 女性/オンライン)

 

自分が日頃感じていることや思っていることを、会話の中で、自然に、上手に言語化してくださるので、その一つ一つにすごくスッキリして癒されます。また、薄々思ってたけど口に出してこなかったことまでハッキリ言語化してくださるので、心地よい中にも、強めの刺激があります!私は、本当に深く分かり合える友達って、欲しいけど、実際なかなかいないと思ってましたが、美紀さんのセッションは、まさにそんな友達に話を聞いてもらっているような、そんなイメージの時間でした。(30代 / 男性/オンライン)

 

理解いただけるだろうな、道が見えるだろうな、という予感どおりでした。同情はしないけど、アツい時にはアツい!具体的なやり方のご提案にも取り組もうと思います。自分のこと、状況のこと、目指す自分の在り方のこと。たくさんハッキリしたので、実践して真の自分を目指します!(30代 / 男性/オンライン)

 

最初の印象は、透明感のある森の妖精みたいな感じで・・・ハイジだ~って思いました。コミュニケーション力も高く話もリードしてくれたので、セッションに入っていったことに気がつきませんでした。話すテンポもこちらの話も聞いてくれたのでストレスなしに120分できました!とても時間が短く感じられました。セッションの内容は自分の視点では捕らえられなかった見方をしていただいたので満足しています。中でも自分の仕事を褒められたことがとても嬉しかったです。やってよかったな~って思ってます。そして、次回はいつにしようかな~って思えるセッションでした♬楽しくて、面白くてお金を払いたい気持ちになったので、またよろしくお願いいたします。(50代 / 男性/オンライン)

 

なんとなく感じていたけれどもその先が分からない…というところを言葉にしてくれて、過去も今もこの先も全部前向きな言葉で表してくれて、心の向きが変わる時間でした。(30代 / 女性/オンライン)

 

自分の本当の気持ちに気づくことができたこと、大きな一歩になりました。美紀さんの存在に本当に感謝しています。貴重な気づきができて、腫れ物が取れました。(30代 / 男性/オンライン)

 

今回美紀さんにセッションして頂いて、とても心が癒され緊張感や張り詰めていたものから解放されました。美紀さんじゃないと話せない内容のお話をあたたかく優しく受け止めて傾聴して下さり、終始穏やかにリラックス出来た状態でセッションして下さり、心や身体に対するお心遣いも頂けたりしてセッション中護られているかのような包容力、労りに満ちた空気感や温度を感じさせて下さり、心から安心できました。

美紀さんは話を様々な側面から物事や心情を感じ取り俯瞰して見てくださり、心から感じたことを対等な視線で見て伝えてくださったり、自分に立ち帰らせてくれました。素敵な温かいひと時を本当にありがとうございました。また是非よろしくお願いします。(30代 / 女性/オンライン)

 

陰ながらの努力に一気に光が差したような心境です。今まで友人はもちろん、身内や他のセラピストの方に相談しても導き出せなかった答えに、とても緩やかに導いていただきました。ここまで心を開いてお話させていただいたことは生まれて初めてです。枠に囚われない美紀さんとの時間は鑑定でなく、カウンセリングでもなく、自己啓発的でもなく、宗教的でもないです。ただ、必要によって美紀さんの独特な嗅覚でこれら全てに通ずるアプローチで接してくれます。そんな流れを何気ない会話の中、遊びの中で作ってくれます。

依頼を検討されている方が、人と接する中で相手の感情や空気感などを感じやすい方であれば対面を強くオススメします。言葉に言い表せない物をたくさん感じられます。美紀さんは明るくシンプルで等身大に接してくれます。お話が苦手な方もご安心頂いて大丈夫です。僕は美紀さんとのたくさんの時間の中でより自分への理解が深まり、様々な感情や過去が修復され未来への架け橋を築けました。(30代 / 男性/対面)

 

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個性豊かな子どもたちのために、今必要な教育とは。『夢みる小学校』という映画を通して、私が感じたこと。

こんにちは〜!

約3ヶ月ぶりの更新ですが、みなさんお元気にされてますか?

 

実は、私は3月に引越ししたこともあり

この3ヶ月はとても忙しく過ごしていました。

 

今回の引越しは、誰に言われるでもなく、転勤などでもなく

積極的に選択した引越しだったのですが

色んな人に引き止められるわ、心配されるわ、説得するわで

本当にてんやわんやな3ヶ月でした…

 

今いる場所を選んだ目的はただ一つ

「子どもの教育」です。

 

それも、一般的にお勉強ができるとか

レベルの高い先生や生徒がいるとか

そんなことではなく

 

私はただただ、自然豊かな環境の中で、

子どもたちが自分で考え、気づき、自分で体験し学ぶ、

そんな本当の意味での「生きる力」を育む教育に

触れさせてあげたかった。

 

それが一番の移住の理由でした。

 

 

そして今回、『夢みる小学校』という映画を見る機会があって

その内容が、私の理想とする教育と重なる部分がたくさんあり

すごく胸を打たれたので、久しぶりにこうやってブログを書いています。

 

私がこの映画を見て感じたことを、忘れないように

そして、教育について悩み、考えるお父さん、お母さんや

子どもの教育に興味がある方に届けばいいなぁと思い

ありのままの言葉で残しておこうと思います。

 

 

『夢みる小学校』という映画は、文科省選定映画で

「きのくに子どもの村学園」という私立の小学校を舞台にしています。

 

子どもたちの学校での取り組みや学習の様子、開校された校長先生の想い、

そこで働く先生方(この学校では先生とは呼びませんが…)の想いなど

を取材した、ドキュメンタリー映画です。

 

その学校を、教育の専門家である尾木直樹さんや

脳科学者の茂木健一郎さんが実際に視察されて、

子どもたちにとって、本当の「学び」とは何なのかを

一緒に考えていくようなストーリーになっていました。

 

 

この映画の中には、3つの小中学校が登場します。

 

・私立 きのくに子どもの村学園(山梨県

伊那市立 伊那小学校(長野県)

・世田谷区立 桜丘中学校(東京都)

 

この小中学校はそれぞれに、とても特色のある活動をしています。

 

先生がいない、宿題がない、テストがない

時間割がない、成績通知表がない、チャイムもない

校則もない、総合学習・体験学習の時間が多くある…

 

など、普通の小中学校では考えられないほど

自由度の高い「子どもファーストな学校」として取りあげられています。

 

ただ、今回は私はそれぞれの表面的な学校の説明をしたいわけではなく、

ネットで調べれば、いくらでも情報は取れるので

もし興味のある方は検索されてみてください。

 

変わった特色のある学校は、調べれば全国にあって、本なども出版されています。

 

本当にこんなこと、公立の学校でできるんだ!!

目から鱗だったりもしますので、興味のある方はぜひ。

 

 

 

私がこの映画を見て、一番に印象に残ったことは

「私は私のままでいいんだ」と、多くの子どもたちが思い

学校をありのままの自分の居場所だと感じている姿でした。

 

映画の舞台の、きのくに子どもの村学園は生徒が200名ほど。

自分の興味のある分野ごとに分かれ、1〜6年生の異年齢で混ざり合い

プロジェクトという体験学習を行います。

 

例えば

料理をつくるプロジェクト、大工仕事をするプロジェクト、工作やクラフトをするプロジェクト、伝統から学ぶプロジェクト、演劇をするプロジェクト、などなど…

 

自分の興味のある分野を自分で選び、

そこで子どもたちが自分たちで何をしたいかを決め

話し合い、必要なことは大人や地域の人に依頼をし

計画から実行まで、子どもたちが主体の活動です。

 

そこに「先生」はいません。

 

もちろん「アドバイザー」として、見守る先生的役割の大人はいますが、

あくまでも信頼して、見守ることに徹します。

 

すべては子どもたちに任せられているのです。

何かを決めるときに、子どもの一票も、大人の一票も同じ。

実際にそうやって、大人の意見とは違う方向に行くことも多いのだそうです。

 

その中で、子どもたちは失敗も、成功も全て自分たちの五感で感じ

気づき、学んでいく姿は、本当に「生きる」ことそのものだと

見ていて感じました。

 

その中で、得意な人が司会をして、話しあい、

時には誰かを思いやり、助け、

盛り上げる人も、冷静な意見を言う人もいて

みんなで知恵を出し合いながら、一つのゴールに向かって取り組む。

 

そこには、自分だからできることを思う存分、発揮する場所と

誰かと協力して何かをやり遂げる喜びを感じる場所。

 

そして、自分が自分でいて、仲間のためにできることがあるんだ!という

自分も他者をも尊重できる居場所がありました。

 

勉強ができる、できないに関わらず

自分が得意で熱中できることに没頭する…

 

そんな環境があれば、一人一人の個性を

思う存分伸ばしてあげられるんだと、見ていて感じました。

 

 

 

私はいつも思いますが、教育は「環境」です。

 

それは、もちろん学校が建っている場所としての「環境」という意味も大きいですが

何よりも大事なのは

子どもたちが「自分が自分でいられる環境」という意味合いが一番大きいと私は思います。

 

日本の一般的な学校では、知識を詰め込む教育としての学習に重きが置かれ

「正解」「不正解」の視点でのみ、その子どもを評価する。

 

そういった環境に身を置いていると

 

先生の顔色や、評価などを気にして

その期待に応えることが目的になったり、

批判をされたくないがために優等生を演じてしまい

自分が本当に好きなことを見失う、できない自分でいてもいいと思えなくなる。

 

それか

 

自分が人並みにできないことや、決められた枠からはみ出すことに

劣等感を感じてしまい、自分は何をやってもできないと思い込んだり

自信を失って、何に対しても無気力、無関心になってしまう。

そのやり場のないエネルギーが怒りに変わると、自他を傷つける。

 

それが、今の画一的な教育方法の限界です。

 

そして、悲しいかな、その子どもの頃の経験はその後の子どもの人生に

影響を与え続ける…

 

それによって、自分は自分でいいと思えない大人が

この日本にはたくさんいて、今も苦しんでいる人たちがたくさんいます。

 

「発達障がい」

という概念も、この画一的な教育の中に

個性豊かな子どもたちをはめ込もうとするから発生するのであって

 

脳科学の視点から考えると

一人ひとりの子どもの人格形成に

「発達障がい」という概念はない、と茂木健一郎さんはおっしゃっていました。

 

みんなそれぞれの個性があり、学び、気づき、学習するプロセスがある、

ただそれだけのことなのだと…

 

実際に、発達障がいだと言われ薬を飲み続け、

できないレッテルを貼られた子どもたちが学園に転校してきた事例も紹介されていました。

 

しばらく自由な環境に身を置き、薬を飲まずにいると

一般的に「問題」と言われるような行動も、ほとんど見られなくなったそうです。

 

その子が卒業するとき、

「私が私でいていいんだ、って思えました。私を受け入れてくれてありがとう。」

そんなことを最後のお礼の言葉として、残していった姿を見ました。

 

その子は「環境」によって救われたのです。

 

発達障がいの子どもたちだけではなく

一人残らずすべての!豊かな個性を持った子どもたちにも当てはまることだと

私は感じました。

 

 

「私は私のままでいい」

本当の意味でそう思えることが、この日本社会において

いかに難しいか…

それは、私自身も身を持って体感しています。

 

だからこそ、

未来ある子どもたちに、

どのような環境で、どのような教育を与えるのか

これは、子どもを持つ親だけではなく

社会を構成する一人一人が考えて欲しいことでもあります。

 

もちろん、私も日々子どもたちと接し、子どもの声を聞き

考え続けたいと思います。

 

 

最後に、きのくに子どもの村学園を開校された学園長先生の言葉で

印象に残っている言葉を紹介します。

 

『自由にさせるということは、自由と責任はセットである、ということを子どもに教えることではありません。自由にすることの責任はすべて、大人がとるから、大胆に何でもチャレンジしなさい。そう子どもたちに伝えてあります。』

 

私も子どもたちに、こう言える大人で在りたいと思います。

 

いつもにも増して長くなりましたが、最後まで読んでいただいた方

本当にありがとうございました。

 

自分だけの「魂」の音色を思い出す

今日2月1日は、旧暦のお正月でしたね。

 

寅年の本格的な始まりに、新月が重なるという

すごく「スタート」の意味合いが強い日だったように感じます。

 

寅年の私は、なんだか力が湧いてくるようで嬉しいような…

だけど厄年なので、すごい一年になるんだろうなぁという

少しの不安とワクワクが入り混じった気持ちになります。笑

 

「少しの」不安なのは、逆境と本番に強い?寅さんのお陰かもしれません。

誰よりも怖がりな私に授けてくれた力なのかも、なんてたまに思ったりします。笑

 

 

そんな特別な感じのする今日、

一日を通して、感じることがたくさんあったので、

感じるままを文章にしてみようと思います。

 

最近、長い文章を書きたいとも思わなくなってきたので

すごく不思議な感じなのですが、お風呂の中でふわぁっと文章が浮かんできて

止められなかったので、そのままを書いてみます。

 

 

今日は、私が感じる全体の空気感(流れ)みたいなものを、一言で表すと

「シーンとしてるなぁ」という印象でした。

 

もちろん世間はいつも通り動いているし、

色んなニュースは飛び交ってざわざわしているのですが

それは目に見える世界の話で。

 

そうではなくて、目には見えない人の心が、全体的に内側を向いて

心が光に照らされているような感覚といえばいいのかな…

 

それはただ明るくて優しい部分だけを照らすのではなく

自分がいつもは複雑に仕舞い込んでいるような感情や経験、想いも含めて

照らし出されたような…

 

なので、嫌でも自分と向き合わなければいけなかったり

自分という人間について見つめ、考え、自分が握りしめている価値観を

これからも持ち続けるのか、それはこれからも必要なものなのか、など

悩み、取捨選択をするような時間を過ごされた方もいると思います。

 

なので、心の内側を向いている人々の感覚を感じた時

外側を向いていない分「シーンとしてるなぁ」と感じたのかもしれません。

 

みんながみんなそうじゃないのは分かっていますが

私の感じた、全体の空気感がそんな感じでした。

 

 

その中でも、今回すごく強く感じたのは

「魂」について。

すごく深い部分での、思い出す作業というか…

 

一人一人、その人にしかない魂の色、形、音色、を持って地球に生まれ

それをここで表現するためには、どうしても「思い出す」という作業が必要で。

 

「見つける」というより、元あった魂を「思い出す」んですよね。

 

だけど、過去の記憶や、経験によって

魂から純粋に出たものが、あまりにも無防備でふわふわで

柔らかい赤ちゃんのような存在だからこそ

 

それが誰かの心ない一言で傷つけられてしまったり

バカにされたり、差し出しても拒否されたり…

 

それがたとえ一度だったとしても、純粋なものであればあるほど

「もう二度と表に出さない」

「人に差し出さない」

「傷つけられたり、奪われるかもしれないから」

と、もう二度と日の目を見ることがない場所に隠してしまった。

 

それが、人が生きるうえで忘れてしまった

というより、その時に自分を守るために意図的に忘れようとした

本来の魂の色、形、音色だったのかもしれません。

 

それを「思い出す」という作業こそが

一人一人が自分の光を取り戻し、「私らしく」生きるために

必要な過程なのだと思います。

 

「思い出す」作業は、本当に苦しいこともたくさんあります。

 

誰かに傷つけられたのであれば、

誰かに傷つけられた痛み、苦しみを

 

誰かに拒否されたのであれば

受けとってもらえなかった悲しみを

 

自分の純粋な想いが

目の前で、粉々に砕かれるような

自分の身を切り裂かれているような

言葉にならない、やり場のない激しい感情を…

 

再び体験しなければ、その奥にある魂には辿り着けないようになっているから。

 

そのタイミングは人それぞれ。

再び体験しても大丈夫、とどこかで感じられるような状況になれば

自然と起こるようになっているのでしょう。

 

それが、すごく起こりやすいような流れが

今日の日の前後だったような気がします。

 

 

私はいつも思います。

 

魂は本当に一人一人、色んな色に輝いていて

色んな形や音色、感触を持っている。

 

その魂から出る純粋なものが

 

「あなたにしか見えないもの」

「あなたにしか聞こえない音」

「あなたにしか出せない声」

「あなたにしか紡げない言葉」

「あなたにしか触れることのできない何か」

 

「あなたしか持っていないもの」

そのものなのだと感じます。

 

 

さぁ、そのあなたにしか奏でることのできない魂の音色を

多くの人の前で、響かせ、共鳴させる時がきましたよ。

 

もう、怖がらなくてもいい。

 

あなたの周りには、もうあなたを傷つける人ではなく

あなたを受け入れ、

あなたの存在を素晴らしいと感じ、

互いの音色を尊重し、共に新たな音色を生み出していけるような、

 

そんな仲間がたくさんいるから、安心して。

 

「この時を待ってたんだよ。もう今なんだよ。」

「さぁ、ほんの少しだけ勇気を出して。」

「こちらの世界においで。」

 

と…

 

私は、この文章を書きながら

何かにそう言われている感じがします。

 

 

新しい時代の幕開け、

それは一人一人の勇気から生まれるものなんだと感じます。

 

自分にしかない魂の音色を思い出し、それを響かせ

人と共鳴し合い、共に生きてゆく。

 

今まで苦しかった人たちが絶望ではなく

希望を感じ、生きていける時代がすぐそこに。

 

 

さぁ、私は何をしよう。

 

あなたは何をする?

 

その答えは、あなたの「魂」が、知っています。

冬至の日にすることって?

みなさん、こんにちは。

今日は冬至ですね。

 

スピリチュアル界隈では、色んなことが言われていますが、

私は季節の一つの区切りとして認識してはいるものの

冬至」だから何かをしないと、とは全く思いません。

 

ゆず湯に入ってあったまろうかなぁって思ったりはしますが。

その理由は「私が好きで、そうしたいから」です。

 

みんな「こうしたい」と感じたことを

感じた通りにすればいいと思うのです。

 

今年の冬至は特に

「エネルギーが降り注ぐ日」

「ゲートが閉まる日」

などと言われていますが

 

エネルギーは、いつもみんなに等しく降り注いでいます。

 

もちろん、それに意識を向け、

今ここに生きていることに感謝するきっかけにしたり

自分について見つめ直す機会にしたりすることは

とてもいいことだと思います。

 

そしてそういった概念や、一人一人の感覚を否定するつもりもありません。

その人が「楽しい」「心地いい」と思えるなら、それは素晴らしいことだからです。

 

大切なのは

それに振り回されることなく

 

「私が」したいことをする。

それも、したいと思ったタイミングで。

 

なんだと思います。

 

最近、小さい頃の記憶を思い出している中で

すごく大切なことを思い出しました。

 

たとえば、私が小学生のころ、

山の中で一人で遊んでいる時の話。

 

例えば、その日が人間にとって特別な日だったとしても

この身一つで自然の中に入ってしまえば、何も関係ないのです。

 

特別な日だからといって、何かが変わるわけではなく

自然は自然として「ただそこに在る」

それだけなのです。

 

自然は自然としてそこに存在し

私は私としてそこに存在している。

ただ、それだけのことなのです。

 

そこには優劣も、良い悪いもありません。

 

何かが「特別である」と思いたいのは

正直、人間だけ、ということもできると思います。

 

特別だからと言って、自分の感覚を無視して

そこに居続けると、何か危ない目に合うかもしれません。

 

本当にその瞬間に大切にしなければいけないのは

「自分が今どう感じているか」という感覚、そのものなのです。

 

私はその肌感覚のようなものを

ありのままの自然の中で教えてもらいました。

 

そしてその経験から、本来、人間がどのような状況においても信じるべきは

「自分の感覚」なんだと思っています。

 

 

 

言ってしまえば

数字も季節も人間が創り出した概念でしかありません。

人間が、言葉を用いて、この世界をわかりやすく説明しようとした。

 

それがこの世界の概念であり

私たちの捉えている世界です。

 

きっと私たち人間はその概念の恩恵を受けたり、苦しめられたりする中で

多くのことを学ぼうとしたし、

実際に多くのことを学んだのだと思うのです。

 

だけど、本当に大切なのは

私たち一人一人が持っている「感覚」を

学んできた「知識」とともに

どう活かしていくのかだと思います。

 

概念に縛られるのではなく

あらゆる知識を持っている、この私が

「今どう感じ、どうしたいと思うのか」

これこそが一番大切なことなんじゃないかなって。

 

それって、何も特別な日じゃなくても

この瞬間にしたいと思えば、そうすればいい。

 

それがたまたまピッタリ季節の変わり目や

縁起のいい日に重なれば、それはすごくラッキーなことかもしれない。

 

何もやる気が出なかったり、きっかけが見つけられなかったりする人は

そういうきっかけにする日として、

特別な日を活用したら、いい後押しがもらえるのかもしれない。

 

だけど、どこまでいっても大切なのは

「私が」「今この瞬間に」「何を感じ」「何をしたいのか」

なんだと思います。

 

この4つのカッコには

外側の要因は一切入っていません。

 

それこそが

本当の私の望みなんだと思います。

 

その自分の望みに素直に行動することに

日も、誰かの意見も、世間の目も一切関係ありません。

 

もう一度言いますが、

 

大切なことは

「私が」したいことをする。

それも、したいと思ったタイミングで。

です。

 

 

私は、今朝ふと「こうしたい」と思ったことをしようと思います。

 

みなさんが、今、したいことは何ですか?

父親が私に遺してくれた心。夢で呼ばれた場所へ。

私は今から25年前の10歳の時、父親を亡くしています。

海の事故でした。

 

それに関しては、過去に記事をいくつか書いていますし

親しい人は知ってくださっているかと思いますので

今日は詳細は書きません。

 

ではなぜ、久しぶりにブログを書いてみようと思ったのか。

 

それは、つい先日、25年の時を経てやっと…

本当にやっと…父親が亡くなった場所に

初めて訪れることができたからです。

 

その時に感じたことを生涯忘れることがないように

書き留めておきたいと思ったので、今これを書いています。

少し長いですが、私の25年分の想いの集大成です。

宜しければお付き合いください。

 

私の中では、長い長い25年でした。

ずっと父親のことを考え続けているわけでは決してないのですが

いつも私の心の奥底に眠っていて

何かがあるといつも言葉にできない苦しみや寂しさとして

外に出てくることがありました。

 

それでも当時、今ほど心や自分のことを知らない私は

何が起こっているのかも受け止めきれず

その時の感情にただ振り回されるしかありませんでした。

 

そして、本当の気持ちは誰にも分かってもらえないと心を閉ざしていた私は、

ほとんど一人で泣いてばかりでした。

 

解決方法も分からず、何がこんなに苦しくて

怖くて、私の心をぐちゃぐちゃにするのか、

人生でずっと分からないままでした。

 

それが、

去年の3月にブログを始めたことをきっかけに

少しずつ自分の「本当の気持ち」に向き合うことができるようになり

このブログやTwitterで出会った方たちのお陰で

「私は一人じゃない」と思えるようになりました。

 

散々行ったり来たりを繰り返しましたが。

 

ひどい時には毎日のように涙を流し

胸がぎゅうっと締め付けられて息ができないほどの痛みを感じながら

父親のことや、自分のことをブログに綴ったものです。

 

けれど、たくさんの人の支えや、励ましの言葉のお陰で

去年の12月、なのでブログを始めて約9ヶ月後

「あぁ…父親の死という私の過去の傷が癒やされたんだなぁ」と

感じる夢を見ました。

 

それがこちらの記事に書いた夢です↓

 

nanohana333.hatenablog.jp

 

記事の中にもありますが

この夢に出てきた場所は、夢を見た時点では全く知らない場所でした。

 

けれど、直感的に「ここは父親が亡くなった海の場所だ」と感じました。

 

それから数ヶ月して、ふと母親に父親が亡くなった場所の地名を聞く機会が訪れました。

 

今まで怖くて聞こうとも思ったこともなかったので

それだけですごく大きな変化だったのです。

 

母親はすぐに教えてくれ、ネットで地名を検索してみました。

 

すると、信じられないことが起こりました…

夢で見たのとまっっっっったく同じアングル、カラー、風景…

 

そんな写真を見つけたのです。

 

夢で見た知らない場所は、本当に実在する場所だったのです…

そして、実際にこの写真に写る岩場で父親が釣りをしていて亡くなった…

 

それは、夢と現実が繋がった瞬間でした。

この写真を見つけた時は鳥肌が止まりませんでした。

 

これが私が夢で見たアングルで、実際に撮った写真です↓

f:id:nanohana333:20211020132738j:plain

 

夢に見た場所が実在する場所だと分かった時からずっと

呼ばれている気がして、ここに行きたくてしょうがなかったのです。

 

コロナ禍で思うようにタイミングを見つけられず

当初予定していた時期よりも、半年近くも経過しての訪問でした。

 

ただ、このタイミングだった意味があると、今はそう思っています。

 

 

地元には5年ほど帰っていなかったのもあり

自分が父親が亡くなった場所に行くなんて夢にも思っていなかったのもあり

帰省すると決めてから、色んな想いが頭を駆け巡り

時と場所関係なく、日常で涙が溢れてしょうがなかったです。

 

本当に一人で向き合えるだろうか…

一人で行くと決めたのは自分なのに、怖くて不安で

自分の感情に引っ張られて最悪の行動をとってしまわないか…

 

私の頭は、色んな幻想を私に想像させました。

 

それは帰省当日も変わらず、一人電車に揺られ

本当に何年分かの想像をし尽くした気持ちです。

 

どんな感情が湧いてくるのだろう…

今まで感じたことのないような感情なんだろうか…

 

けれど、

言葉にはできないような混沌とした気持ちであの風景の場所に立ったとき、

想像していたのと全く違う状態になりました。

 

「無」になったのです。

 

本当に何も感じなかった。

自分でも驚くほど…

 

言葉にもならず、ただひたすら風に吹かれて

海を眺めていました。

 

ここに来れて良かったとも、父親に想いを馳せ悲しいとも何も思わない…

 

最初は「何これ?」と信じられない気持ちで、

自分の心と向き合っていました。

 

もちろん最初から、父親が亡くなった場所に行ったからといって

何かが変わるわけではないのは分かっていました。

 

それでも、自分の中で区切りをつけるために行ってみたかった。

そこの空気に触れてみたかった。

五感で感じてみたかった。

 

けれど、そこに行って感じたことは

「無」だったのです。

 

私は自分の人生最大の苦しみに蓋をして

何も感じないようにしているのだとその時は解釈しました。

 

けれど、しばらくして冷静に振り返ることができるようになった今

こうやってブログを書いていて感じます。

 

私はあの時

「ただ、自分が生きてここに存在している」ということを

そのまま感じていただけだったのだと。

 

そこには、恐怖も苦しみも、何の感情も湧いてこない

人間の感情の奥にある、揺るぎない「自分」という存在をただ感じていただけ。

 

色んなものをありのまま受け入れることができるようになった今だからこそ

どんな自分も「自分」としてただ在ることを、感じる。

 

それが、あの場所に行って

私が初めて受け取ったものでした。

 

父親の死を通して人生の中で

本当に様々な苦しみや葛藤、自分の醜い部分や

人として弱い部分を感情というツールを使って感じてきました。

 

そうじゃないと、感情の奥にある「自分」は「無」の存在なので

自分がわからないから。

 

「無」なんだけど、肉体は「有る」

 

人間って、本当に不思議な存在だなぁって

私の知ってる言葉では表現できないほど

心からそう感じます。

 

もし父親の死がなければ

こんなに苦しい思いをすることもなかった。

 

けれど、この経験がなければ

本当の自分は「無」の存在であって、

善悪もなく、ただそこに在る、ということに

本当の意味で気づけなかったし、体感できなかったかもしれません。

 

感情は「自分」を彩るスパイスのようなもので、

自分が見たい世界を見るため、感じるためのただのツール。

 

こうやってたった一つの気づきを得るために

人は体験し、苦しみ、悩んでいるのかもしれないなぁと今は感じています。

 

 

話が大きくなってきたのでそろそろ終わりにしますが

私が今まで苦しみだと思い込んでいたことは

苦しみではなく、ただの外側の体験だった。

 

「苦しい」という感情をくっつけたのは自分。

それに加えて、

「小さい頃に父親が亡くなった可哀想な自分」という解釈をくっつけたのは自分。

(もちろん、接してきた周囲の影響も大きいとは思いますが…)

 

全部「無」の自分に

好きにくっつけているだけだと心から体感したので

私は、今日をもってこれまでの自分を卒業します!

 

「可哀想な自分」と思い込む人生の扉を

誰でもない、自分自身の手で閉めようと思います。

 

だって、初めから「無」なのであれば

今この瞬間にどんな自分であってもいいのだから。

 

これからは、そうだなぁ…

「この瞬間に存在していて、心地良い感覚を感じたいだけの自分」

にでもしようかな。

 

 

そのために、何かに囚われることなく

自分や誰かを決めつけることもなく

ただ、その瞬間瞬間を自分の体と感覚で素直に感じてあげられる自分で

いたいなぁと思います。

 

「父親が私に遺してくれた心」

それは「こう」と決められているものではなく

その瞬間の自分が、毎瞬選択していくもの。

 

それを、大切に抱きしめ、生きていきたい。

 

私はもう決して一人じゃない。

 

私は、大好きな私と共に生きていく。

そして、私に寄り添い、大切に想ってくれる人と共に。

 

今まで経験してきたあらゆるすべてに、

私と出会ってくださった人すべてに、

ありがとうを、心から。

 

偶然にも私の年齢が、父親の亡くなった年齢と同じ

34歳と10ヶ月まであと数日の、今日の善き日に…

実はブログを始めて、今日でちょうど一年なのです

お久しぶりです☺️

ブログで繋がってくださっている方は

お元気にされてましたかー??

 

ブログを1ヶ月以上書かなかったのは初めてのことなのですが、実はTwitterなどでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、

私、今月引っ越すことになったのです💦

しかもかなりの遠方です。

 

2月の中旬に急遽引っ越しが決まり、

気持ちの整理もつかないまま

人との別れや、新しい家探しなど

とってもバタバタ過ごしていました。

 

今住んでいる場所は10年いて

人間関係も今が最高に心地良く

大切な友達もいてくれて

 

子育てをする環境としても

のびのびと育ててあげられる自然豊かな場所なので

本当は離れたくありません。

 

これ以外にも離れたくない理由はたくさんありますし、

望んで引っ越すわけではないので、

色々…本当に色々思うところもありますが…

 

今はこの地に別れを告げ

引っ越すことに決めました。

 

なので、今回の記事以降しばらくは、引っ越しの準備などでバタバタして

ゆっくりブログを書く時間が取れなくなると思います。

 

また引っ越しが終わり

子どもたちの新生活の様子も落ち着いた頃に

書けるようになるといいなぁと思っています☺️

 

 

そしてそして!

そんなバタバタした中ではありますが…

 

 

実は、

今日でブログを始めてちょうど一年になりましたー!!!

 

去年の3月11日。

何を思い立ったのか、

こんな特別な日に、なんとなくブログを始めようと思い、書いたのがすべての始まりでした。

 

「自分の感じたことを言葉にしてみよう」

 

ただ、それだけの想いで本当になんとなく始めたのですが、

一年後、

今の私になっているなんて

誰が想像できたんだろうって思います。

 

というか、

今私の周りにいてくださっている方は

ブログを始めるまでは

誰も私のことを知らないんだから

想像も何もないと思いますが😂笑

 

それを思うと、

ブログを始めなければ絶対に出会うことができなかった人たちが

今こんなに、私の心と時間の中にいてくださること…

 

一年で、こんなに

私にとってなくてはならない存在になるんだ…

と文章を書きながらも、正直ビックリしています。

 

一年前のあの日。

 

もしブログを始めなければ、

こんなに大切だと想える人に出会うことはなかった。

 

ブログを始めなければ、

SNS嫌いな私が

Twitterを始めることは絶対になかった。

 

そして、Twitterを始めなければ

こんなにあたたかさに溢れ、尊敬できるたくさんの人たちに出会えることはなかった。

 

Twitterを始めなければ

オンラインコミュニティを作ることも

ラジオを始めることもなかった…

 

そう振り返ると、

今の私は完全に

 

一年前のあの日から

今の私に間違いなく繋がっているということ…

 

本当に奇跡でしかないと

心から思います。

 

「ブログを始めて、人生が変わった」

 

大げさに聞こえるかもしれないけれど、

私にとっては紛れもない事実です☺️

 

ブログを始めて本当によかった。

そのお陰でTwitterも始めて本当によかった。

 

私が心から大切だと想える人と、

そして心から大切だと想える自分に出会えたから…

 

私と出会ってくださった方々に

心から感謝の気持ちを伝えます。

 

本当に本当にありがとうございます☺️

 

人生はいつ、どこで、どうなるかわからない。

それをここで教えてもらった気がします。

 

そして、生きているけど

新しい私に生まれ変わった。

今はそんな気持ちでいます。

 

なので、まだまだ私の新しい人生は始まったばかり…

これからもお付き合いいただけると

とっても嬉しく思います🥰

 

あ!せっかくなので、

一年前に初めて投稿した短い記事を

置いておきますので、なんだか恥ずかしいですが、良ければお読みください〜🌸

 

これを書いたときの私は、

まだこれから何が始まるのかも分かってなかったんですもんね〜🤔

そう思うと人生は最高に面白い✨笑

 

nanohana333.hatenablog.jp

 

文中に「居場所」とか書いてるし

このときからコミュニティを作りたい想いが

どこかにあったのかも!?笑

 

こんな私ですが

もっと「私らしく」「楽しんで」

人生を歩んでいきたいと思っていますので、

これからもどうぞよろしくお願いします🙇‍♀️✨

 

最後までお読みいただき

ありがとうございます🌸

心の中に人がいる、ということ

心の中に人がいる、ってあったかい。

 

「私は一人なんだ」
「誰も分かってくれない」

 

と思い込んでいるうちは、

どれだけ心の扉をたくさんの人が叩いてくれても、

誰かが諦めずに叩き続けてくれても、

心の中に人を入れることはできない。

 

人の心は、中から鍵がかかっていて、
自分で鍵を開けて、扉を開くしか
誰かを心の内側に招き入れる方法はない。

 

もちろん、外側から

誰かが優しく声をかけてくれることはある。

けれども、やっぱり最終的に扉を開けるのは

自分以外、誰にもできない。

 

そんな大切なことに、やっと気づいた。

 

自分から扉を開けば、

いつも誰かが私の心の中にいてくれること。


何かがあっても「大丈夫?」

じゃなくて
「大丈夫だよ」と言ってくれること。

こんな幸せが、この世にあるんだね。

 

これまでの辛い経験によって

心の内側に鍵をたくさんかければかけるほど、開けるのにも時間はかかる。


それでも、ゆっくりでもいいから

一つずつ鍵を外していけば…


いつか、必要なタイミングで

大切な人が大きなお土産を持って、
心の中に入ってきてくれる。

 

そのお土産は
これ以上ないほど

心の中が満たされているという気持ち。

 

そして、

 

何かあっても

温かい帰れる場所があると

いつも安心感に包まれている気持ち。